南アフリカ近海での悲劇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:06 UTC 版)
「ペドロ・アルヴァレス・カブラル」の記事における「南アフリカ近海での悲劇」の解説
一行が南アメリカ東岸に沿って航行を再開したのは、1500年5月の2日か3日のことであった。カブラルは航行するうちに、発見したのは島ではなく大陸ではないかとの考えを強めていった。5月5日頃、艦隊はアフリカへ向かうべく東へと転進した。5月23日ないし24日、彼らは南大西洋のセントヘレナ高気圧帯で嵐に遭い、4隻の船を失った。この一件が正確にどの地点で起きたかは不明であり、アフリカ大陸最南端に近い喜望峰から「南アメリカの沿岸部が見える海域」までのどこかだということしか判っていない。ナウ船3隻およびキャラベル船1隻が乗員380名と共に失われたが、このキャラベル船の船長は、1488年にヨーロッパ人として初めて喜望峰に到達した航海者バルトロメウ・ディアスであった。 沈没を免れた船も、波濤に進路を阻まれたり帆を損傷して散り散りになった。ディオゴ・ディアスの指揮する艦は完全に引き離され単独でさまよう状態に陥ったが、残りの6隻はどうにか再集結を果たした。艦隊はいったん3隻ずつ2隊に分かれ、東進して喜望峰を通過した。そこで体勢を立て直して現在位置を確認した後に転進して北上し、ソファラの北側沖に位置するモザンビーク海峡内の島のひとつ(英語版)に上陸した。本隊は船を修理するため、ソファラ近海に10日ほど逗留した。その後更に北上を続けた艦隊は、5月26日キルワ島に到着した。カブラルは当地の王と協定を結ぼうと試みたが、交渉は不首尾に終わった。 キルワ島を出立した一行は、8月2日にマリンディへ到達した。カブラルは当地の王と面会して友好関係を結ぶことに成功し、進物の交換などを行った。ここで最終目的地であるインドへ向かうべく水先案内人を雇用し、艦隊は一気にアラビア海を横断してアンジェディバ島(英語版)へ至った。この島はカリカットへ向かう前の物資補給地点としてよく利用されていた。一行はここでいったん船を揚陸し、防水加工や塗装の補修を行った。その間に、カリカットの統治者との面会を取り付けるべく最終調整もはかられた。
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