包囲戦開始までのハンガリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 05:29 UTC 版)
「ブダペスト包囲戦」の記事における「包囲戦開始までのハンガリー」の解説
1941年の独ソ開戦以後、ハンガリーはドイツと共にソ連との戦争を続行していたが、戦線に敗北の様相が濃くなるにつれ、その協力度は「気の乗らない衛星国」のそれになりつつあった。1944年春までには、戦況を絶望視したハンガリー政府首脳は連合国との休戦を望んでいたが、ドイツはバラトン湖周囲にあるハンガリー油田を必要としており、またハンガリーに居住するユダヤ人の徹底的な殲滅を計画、3月19日、ドイツ軍はマルガレーテ作戦を発動、部隊をハンガリーへ侵入させ親独派のストーヤイ・デメ政権を樹立させる。しかし、ハンガリー摂政の座を保ったホルティ・ミクローシュ提督はなお休戦を試みようとしていた。 1944年6月末、バグラチオン作戦成功とその後の進撃によりソ連軍はバルカン半島に侵入してきた。1944年10月、ホルティは連合軍と和平について交渉する機会をつかんだ。しかし、ドイツ側にこのことが露見してしまい、10月16日ドイツ軍はパンツァーファウスト作戦を発動。ホルティを摂政から退任させ、親ナチの矢十字党とその指導者サーラシ・フェレンツがハンガリーを掌握することとなった。
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