前漢から清
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 05:54 UTC 版)
前漢前期に隷書を崩した「章草」(しょうそう)があり、漢の時代の篆書・隷書から発生したと概ね考えられている。章草は、現在のように文字を続けて崩していく形式ではなく、1字1字を崩していく形式だった。この章草が漢以降にいかなる工程を経て草書に発達したかは、古文書の他に主だった金石彫刻がないことから碑文研究において不明とされる。 文献では、『説文解字』に「漢興って草書有り」がみえる。一説には前漢の史游や後漢の張伯英が発明したとも言われる(中国の書論#書体の創始者を参照)。3世紀に一般化した。 草書体をさらに崩した書体を狂草と呼び、張旭、懐素などの能書家が有名である。 清代後期には、草書が失われ、一部の学者や書道家で使用されるのみであった。
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