公務におけるもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:50 UTC 版)
「あ、そう」に象徴されるように発言のバリエーションが少ない一方、表情は非常に豊かで、満面の笑みを浮かべる天皇の表情のアップ(GHQカメラマンディミトリー・ボリアが撮影、時期は1950年(昭和25年)- 1951年(昭和26年)頃)なども写真に残っている。ただし、終戦まで天皇の笑顔を写した写真は、検閲によって一切公開不許可であった。 1982年(昭和57年)の園遊会で黒柳徹子と歓談した際、黒柳が当時の自著『窓ぎわのトットちゃん』を「国内で470万部売って、英語で外国でも出ることになりました」と説明すると、昭和天皇は「よく売れて」と答えた。あたかも天皇へ自著を自慢しているように映ってしまい、周囲の大爆笑に黒柳は照れ笑いを浮かべながら「(売上を)福祉のために使うことができました」と説明した。このほか、柔道家の山下泰裕が昭和天皇から「(柔道は)骨が折れるだろうね」と声をかけられた際、文字通りに受け取ってしまい「はい、2年前に骨折しましたが、今はよくなって頑張っております」と朗らかに返答したエピソードがある。 1983年(昭和58年)5月、埼玉県行田市の埼玉県立さきたま史跡の博物館へ行幸。天皇がガラスケースの中の金錯銘鉄剣を見ようとしたとき、記者団が一斉にフラッシュをたいてその様子を撮影しようとしたため「君たち、ライトをやめよ!」と記者団を叱った。カメラのフラッシュがガラスに反射して見えなかったのを怒ったものである。 晩年、足元のおぼつかない天皇を思いやって「国会の開会式には無理に出席しなくとも……」という声が上がった。ところが天皇は「むしろ楽しみにしてるんだから、楽しみを奪うような事を言わないでくれ」と訴えたという。
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