全印度比丘総本山建設事業
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「佐々井秀嶺」の記事における「全印度比丘総本山建設事業」の解説
1984年、佐々井は全インド比丘サンガ協会より、仏教の根本道場ならびに仏教徒の国際交流の場としての総本山をブッダガヤーに建設する委員に推薦された。この協会は、当時としては数少ない仏教僧組織のひとつであったが、上座部仏教僧の集まりであり、佐々井とは思想を異にしていたため、それまで互いの接触はなく、突然の人事であった。 当時の協会事務局長ダンマ・パーラや法首アーナンダ・ミトラは日本とも交流があり、佐々井を熱烈に支持。佐々井はこの計画の委員長となった。 しかし、事業は難航を極める。1985年11月半ば、ボンベイの州政府内務省より佐々井の強制退去命令が発令される。この頃佐々井は日本国籍であった。この2年前には国籍取得の嘆願書をマハーラーシュトラ州政府および中央政府内務省に提出していたにもかかわらず、事務処理は遅々として進まず、入国ビザはとうに切れていた。形の上では不法滞在となっており、それが俄かに取り沙汰され、急遽身を隠すことになった。 また翌年5月、大量の建築資材と金庫の中の資金および帳簿の一部が内部の者に持ち去られる事件が発生。 これらの問題をきっかけに協会内の佐々井反対派が勢いを増し、計画は頓挫した。 なおこの計画のために、真言宗智山派関東三山(高尾山薬王院、成田山新勝寺、川崎大師)や臨済宗南禅寺派明泉寺住職冨士玄峰らが中心のナグプール同友会、神戸市仏教連合会、神戸青年仏教徒会などから義援金が集められていた。この問題を振り返り、冨士玄峰は「失敗の原因は十分な計画性に欠けていたことです。ヒンドゥー組織の妨害もあり、だまされてしまったんですね。」と述べている。 協会は1994年に佐々井他2名の追放を宣言している。
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