全印度比丘総本山建設事業とは? わかりやすく解説

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全印度比丘総本山建設事業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 14:54 UTC 版)

佐々井秀嶺」の記事における「全印度比丘総本山建設事業」の解説

1984年佐々井は全インド比丘サンガ協会より、仏教根本道場ならびに仏教徒国際交流の場としての総本山ブッダガヤー建設する委員推薦された。この協会は、当時としては数少ない仏教僧組織のひとつであったが、上座部仏教僧の集まりであり、佐々井とは思想異にしていたため、それまで互い接触はなく、突然の人事であった当時協会事務局長ダンマ・パーラや法首アーナンダ・ミトラは日本とも交流があり、佐々井熱烈に支持佐々井はこの計画委員長となった。 しかし、事業難航極める1985年11月半ばボンベイ州政府内務省より佐々井強制退去命令発令されるこの頃佐々井日本国籍であった。この2年前に国籍取得嘆願書マハーラーシュトラ州政府および中央政府内務省提出していたにもかかわらず事務処理遅々として進まず入国ビザはとうに切れていた。形の上では不法滞在となっており、それが俄かに取り沙汰され急遽身を隠すことになった。 また翌年5月大量建築資材と金庫の中の資金および帳簿一部内部の者に持ち去られ事件発生。 これらの問題きっかけ協会内の佐々井反対派勢い増し計画頓挫した。 なおこの計画のために、真言宗智山派関東三山高尾山薬王院成田山新勝寺川崎大師)や臨済宗南禅寺派明泉寺住職冨士玄峰らが中心ナグプール同友会神戸市仏教連合会神戸青年仏教徒会などから義援金集められていた。この問題振り返り冨士玄峰は「失敗の原因十分な計画性欠けていたことです。ヒンドゥー組織妨害もあり、だまされてしまったんですね。」と述べている。 協会1994年佐々井他2名の追放宣言している。

※この「全印度比丘総本山建設事業」の解説は、「佐々井秀嶺」の解説の一部です。
「全印度比丘総本山建設事業」を含む「佐々井秀嶺」の記事については、「佐々井秀嶺」の概要を参照ください。

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