倭について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 08:53 UTC 版)
魏略には、邪馬台国時代の倭国に関する記述が多く残っていることから、邪馬台国論争に熱をあげる研究者たちの注目を浴びている。倭国に関する逸文が残っているのは、『三国志』裴注、『漢書』師古注、『翰苑』、『北戸録』、『魏書』、『法苑珠林』などである。 そのうち『三国志』東夷伝倭人条に引く逸文では、「倭」について、 「其俗不知正歳四節但計春耕秋収爲年紀」その俗、正歳四節を知らず。ただ春耕秋収を計って年紀と為す との記述から、春の耕作と秋の収穫を1サイクルとして今の半年を一年として数えていたという意見がある。一方でこの記述は「春に耕し秋に収穫するのを一年と大ざっぱに考えている」と述べているだけで、この記述をもって史書に記された年数を勝手に二倍に解釈するのは牽強付会との意見もある。 また、『翰苑』巻30の逸文に、倭人の出自について 「自帯方至女國万二千余里 其俗男子皆黥而文 聞其旧語 自謂太伯之後 昔夏后小康之子 封於会稽 断髪文身 以避蛟龍之害 今倭人亦文身 以厭水害也」 と、自ら太伯(たいはく)の後と称していたとある。
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