会談の意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 19:05 UTC 版)
本会談の意義については、アメリカ・イギリス・ソ連といった戦勝国による、第二次世界大戦後における世界の国際レジーム枠組みに関する「利害調整の場」であったとする指摘が多い。中でも、領土に関する様々な取決めについては、当事国抜きで行われたにも関わらず、中・東ヨーロッパの政治体制・外交問題など、戦後世界に非常に広範で多岐に渡る影響を及ぼしている。 この会談以後の戦後体制をしばしばヤルタ体制と呼び、この会談以降、アメリカを中心とする資本主義国陣営と、ソ連を中心とする共産主義国陣営の間で、本格的な東西冷戦が開始されたと言われている。フルブライトは「1945年2月の米英ソのヤルタでの誓いは1947年3月12日のトルーマン宣言で崩壊し、これがイデオロギーの戦争としての冷戦の始まりであった」 と述べている。 2005年5月7日、アメリカのジョージ・ブッシュ大統領はラトビアの首都リガで演説し、ルーズベルト大統領が結んだヤルタ合意は史上最大の間違いの一つであり、安定のために小国の自由を犠牲にした試みは欧州大陸を分断し不安定にしたと述べた。
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