以前の建物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/20 22:16 UTC 版)
サン・マルタ館はバチカン市国の南部に位置する 1881年から1896年にかけてコレラが大流行した際、これがローマに迫る恐れがあったことから、1891年に教皇レオ13世はこの場所にサン・マルタ・ホスピスを建てさせた。コレラがローマで猛威を振るうことはなく、建物はその後ローマのボルゴやトランステヴェレ近郊の病者や巡礼者のためのホスピスとして使用された。1901年には電気が供給されるようになり、1902年には礼拝所も併設された。また、聖職者やスイス傭兵への医療も提供されるようになった。第二次世界大戦中には、イタリアと国交を断絶していた国からの難民やユダヤ人、外交官が利用していた。終戦の際には、教皇ピウス12世が初めて聖餐を受けた800人のローマの子供たちを招いている。ここは高位聖職者の末期の家ともなり、バチカンに奉職する聖職者たちの住居としても重要性が増していった。
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