他のオスマンでの名称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:28 UTC 版)
「イスタンブール」の記事における「他のオスマンでの名称」の解説
オスマンと同時代の外国の人々は特に外交書簡でオスマン帝国の政府を特定の敬語で表現し、以下のようなものが含まれていた。 Dersaadet(در سعادت『歓喜の門』) Derâliye(در عاليه『崇高な戸』)Der はペルシャ語で戸に当たる語。 Bâb-ı Âlî(باب العالی『荘厳な朝廷』)Bab はアラビア語で戸に当たる語。 Pâyitaht(پایتخت『王座の中心』)ペルシャ語で首都。 Asitane(آستانه)ペルシャ語からでスルタンの宮居又はオスマン帝国の中心の意味。(アラビア語: الأستانة)Āstāne-ye Sa‘ādat/Asitane-i Saadet(「幸福の宮居」) 歓喜の門、崇高な戸、荘厳な朝廷は文字通りオスマンのスルタン宮殿であったトプカプ宮殿でそこに位置した朝廷、それ故イギリスのホワイトホールや日本の霞が関のようなオスマン帝国中枢を表す換喩であった。ビザンティン帝国近隣の多くの人々は「大都市」や「皇帝の都市」、「ローマの首都」と言った概念の表現を使っていた。10世紀から12世紀の間、コンスタンティノープルは世界ではバグダードと並ぶ2つの大都市のうちの1つであった。
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