仏教の繁栄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 09:21 UTC 版)
パーラ朝の歴代の王は、仏教を保護し、当時の北部ベンガルには、ヴィハーラ(僧院)が多かったため、のちのビハールの語源となるほどであった。 8世紀の後半に、インド哲学の巨匠シャーンタラクシタと大密教行者パドマサンバヴァなどを、チベットへ仏教使節を派遣した。 パーラ朝時代の仏教は、密教としての仏教がさかんでいわゆるタントラ仏教であったため、チベット仏教もその影響を強くうけている。 また、芸術を保護したため、絵画、彫刻、青銅の鋳造技術が著しく進歩して、仏教美術では、「パーラ式仏像」を生み出して世界的に有名となり、その美術は「パーラ派」や「東方派」と呼ばれ、優れた技巧と典雅な意匠で知られている。 とはいえ、民衆は仏教のみならず、ヒンドゥー教を信仰する者もいた。
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