仁科神明宮
仁科神明宮
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仁科神明宮(にしなしんめいぐう)は、長野県大町市大字社字宮本にある神社。天照大神を奉祀している。1872年(明治5年)より郷社、1876年(明治9年)より府県社、1893年(明治26年)より県社となる。
- ^ 『吾妻鏡』文治2年3月12日(1186年4月3日)条
- ^ 大町市史 177頁
- ^ 一志,茂樹, (1937) 58~59頁
- ^ a b 長野県史 通史編 第2巻 34頁
- ^ 大町市史 255頁
- ^ 一志,茂樹, (1937) 61頁
- ^ 大町市史 176頁
- ^ 長野県史 通史編 第2巻 313頁
- ^ 一志,茂樹, (1937) 61~62頁
- ^ 一志,茂樹, (1937) 62頁
- ^ 『国宝・仁科神明宮』文化財[1]
- ^ 一志,茂樹, (1937) 93頁
- ^ 一志,茂樹, (1937) 97頁
- ^ 一志,茂樹, (1937) 94頁
- ^ 一志,茂樹, (1937) 64~65頁
- ^ 一志,茂樹, (1937) 96頁
- ^ 一志,茂樹, (1937) 96~97頁
- ^ 昭和9年1月30日文部省告示第23号
- ^ 一志,茂樹, (1937) 64頁
- ^ 『長野県指定文化財調査報告書・第六集』長野県教育委員会、29頁、昭和50年3月31日。
- 1 仁科神明宮とは
- 2 仁科神明宮の概要
- 3 歴史
- 4 文化財
- 5 アクセス
- 6 参考文献
仁科神明宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/02 08:51 UTC 版)
『「崇神天皇の末の太子」で「垂仁天皇の弟王」である「仁品王(ひとしなおう)」(仁科氏の祖)がこの地に降臨し、氏神として天照皇太神の廟を建造して「宮本神明宮」と命名し、毎月十六日に参拝した、とある。この宮本神明宮が仁科神明宮の始まりとなる。その後宮本神明宮は、仁品王の子孫によって仁品王、妹耶姫なども祭祀されるようになり、白雉5年(654年)2月上旬の増営の際には末社が12社を数えた』とある。
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