台南海軍航空隊
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台南海軍航空隊(たいなんかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の地上航空部隊。1941年10月1日に開設され、1942年(昭和17年)11月1日に第二五一海軍航空隊(だい251かいぐんこうくうたい)と改称した初代、および1943年4月1日開設の二代目がある。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 「昭和16年10月1日付 海軍辞令公報(部内限)第721号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082600
- ^ 戦史叢書49巻 南東方面海軍作戦(1)ガ島奪回作戦開始まで 145頁
- ^ 戦史叢書49巻 南東方面海軍作戦(1)ガ島奪回作戦開始まで 146-147頁
- ^ 戦史叢書49巻 南東方面海軍作戦(1)ガ島奪回作戦開始まで 146頁
- ^ a b 「昭和16年10月6日付 海軍辞令公報(部内限)第724号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082600
- ^ 「昭和18年4月1日付 海軍辞令公報 (部内限)第1085号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072090400
- 1 台南海軍航空隊とは
- 2 台南海軍航空隊の概要
- 3 関連項目
二五一空
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1942年11月1日、第二五一海軍航空隊と改称。11月中旬、機材を残して人員のみ内地に帰還(一部の人員はラバウルの他の航空隊に転属した)。豊橋で練成・再編成にかかった。所属機識別章は「UI」へと変更。 1943年5月14日、ラバウルに再進出。再進出当初は零戦装備の昼間戦闘機部隊と、小園司令の考案した斜銃を追加装備した夜間戦闘機月光(当時は二式陸偵改)装備の夜間戦闘機部隊の2隊が配備されていた。零戦隊はラバウル航空隊の主力戦闘機部隊として、攻勢に転じていた米軍とのソロモン・東ニューギニア方面での戦闘に当たった。月光隊も5月21日夜にラバウルに来襲したB-17 2機を初撃墜するなど戦果を上げて行った。 9月1日、二五一空は正式採用となった月光24機を揃え、夜間戦闘専門部隊として編成が変わった。零戦要員は二〇一空や二五三空へ転属となった。しかし皮肉にもこの頃から米軍の攻撃は、夜間爆撃中心から昼間爆撃中心に変わりつつあり、活躍の場はほとんどなかった。 1944年2月、トラック島に後退したがトラック島空襲によって機材は壊滅した。その後フィリピンへ後退したが7月解隊。夜戦要員は一五三空へ、トラック島残留者は東カロリン海軍航空隊へ、一部の隊員は内地へと転属となった。
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