二五一空とは? わかりやすく解説

台南海軍航空隊

(二五一空 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/14 09:17 UTC 版)

台南海軍航空隊(たいなんかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の地上航空部隊。1941年10月1日に開設され、1942年昭和17年11月1日第二五一海軍航空隊(だい251かいぐんこうくうたい)と改称した初代、および1943年4月1日開設の二代目がある。


  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 昭和16年10月1日付 海軍辞令公報(部内限)第721号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082600 
  2. ^ 戦史叢書49巻 南東方面海軍作戦(1)ガ島奪回作戦開始まで 145頁
  3. ^ 戦史叢書49巻 南東方面海軍作戦(1)ガ島奪回作戦開始まで 146-147頁
  4. ^ 戦史叢書49巻 南東方面海軍作戦(1)ガ島奪回作戦開始まで 146頁
  5. ^ a b 昭和16年10月6日付 海軍辞令公報(部内限)第724号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082600 
  6. ^ 昭和18年4月1日付 海軍辞令公報 (部内限)第1085号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072090400 


「台南海軍航空隊」の続きの解説一覧

二五一空

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 15:52 UTC 版)

台南海軍航空隊」の記事における「二五一空」の解説

1942年11月1日第二五一海軍航空隊改称11月中旬機材残して人員のみ内地帰還一部人員ラバウルの他の航空隊転属した)。豊橋練成再編成かかった所属機識別章は「UI」へと変更1943年5月14日ラバウル再進出再進出当初零戦装備昼間戦闘機部隊と、小園司令考案した斜銃追加装備した夜間戦闘機月光当時二式陸偵改)装備夜間戦闘機部隊の2隊が配備されていた。零戦隊はラバウル航空隊主力戦闘機部隊として、攻勢転じていた米軍とのソロモン・東ニューギニア方面での戦闘当たった月光隊も5月21日夜にラバウル来襲したB-17 2機を初撃墜するなど戦果上げて行った9月1日、二五一空は正式採用となった月光24機を揃え夜間戦闘専門部隊として編成変わった零戦要員二〇一空二五三空転属となった。しかし皮肉にもこの頃から米軍の攻撃は、夜間爆撃中心から昼間爆撃中心に変わりつつあり、活躍の場はほとんどなかった。 1944年2月トラック島後退したトラック島空襲によって機材壊滅したその後フィリピン後退した7月解隊夜戦要員一五三空へ、トラック島残留者は東カロリン海軍航空隊へ、一部隊員内地へと転属となった

※この「二五一空」の解説は、「台南海軍航空隊」の解説の一部です。
「二五一空」を含む「台南海軍航空隊」の記事については、「台南海軍航空隊」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「二五一空」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「二五一空」の関連用語

二五一空のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



二五一空のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの台南海軍航空隊 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの台南海軍航空隊 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS