乗合タクシーからバス事業へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 11:47 UTC 版)
「平和交通 (千葉県)」の記事における「乗合タクシーからバス事業へ」の解説
1960年代から1970年代にかけて、千葉市内では住宅団地の造成が急速に進み、既存バス事業者は団地が出来るたびにデベロッパーや住民からの要請を受け、路線を新設する必要に迫られていた。しかし団地輸送路線は、ラッシュ時に多数の利用者がある反面、入居の進み方によって需要が左右されることや、朝夕と昼間の利用者数の差が極端で運用効率が悪いなどの問題点もあり、事業者にとっては手放しで歓迎できるものではなかった。 こうした中、団地によっては入居者数や周辺道路の状況の悪さを理由に、事業者がバス路線の開設を拒否するケースが生じてきた。平和交通はこうした団地で乗合タクシーの運行を始め、現在のバス事業につながる土台を築いた。 最初に乗合タクシーを運行したのは、稲毛と検見川の中間付近(現・花見川区)にある西小中台団地である。ここでは、自治会の要望により1975年に最寄りの新検見川駅との間を結ぶ運行を開始した。続いて、1979年に市東部(現・若葉区)の若松台団地 - 都賀駅間で運行を開始、さらに1982年に稲毛駅から西小中台を経由して隣接するにれの木台団地までの路線を開通した。いずれも当初は10人乗りの日産キャラバンE20型で運行したが、その後一般貸切バスの事業免許を取得し、このもとで限定的な乗合路線の運行許可を得ることにより車両の大型化が図られた。
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