久居藩主時代とは? わかりやすく解説

久居藩主時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 22:00 UTC 版)

藤堂高兌」の記事における「久居藩主時代」の解説

天明元年1781年4月2日生まれる。寛政2年1790年10月29日、第11久居藩主・高矗の養嗣子となり、養父死去する久居藩となった寛政7年1795年2月15日将軍徳川家斉御目見する。同年12月17日従五位下左近将監叙任する。寛政8年1796年4月18日初めお国入りする許可を得る。 藩主就任直後幼少であったため、家老藤堂八座補佐を受ける。久居藩藩主早世本家津藩主への転任多かったため、藩政安定化せずに混乱し財政窮乏化していた。成長した高兌は藩政改革試みる。寛政9年1797年)に「義倉積米」制度制定した。これは、藩士知行扶持米のうち、100分の1を積み立てる貯金のようなものであった。そして高兌はこの資金を基に、藩内における新たな事業資金にしたり、経済的に窮乏している者に対して貸付金にしたり、さらには藩校運営資金災害復興費などに当てた。父で津藩継いでいた高嶷もこれを助けている。他にも法令整備行政機構改善綱紀引き締めなどを行なって乱れていた藩政立て直した。なお、「義倉積米」制度廃藩置県まで継続され最終的に116800両も積み立てられたが、長期わたって継続することができたのは、高兌があくまで資金公的に使い私的に使うことを厳禁していたためであると言われている。

※この「久居藩主時代」の解説は、「藤堂高兌」の解説の一部です。
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