上海列車事故
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上海列車事故(シャンハイれっしゃじこ)は、1988年(昭和63年)3月24日に中国上海郊外で発生した急行列車同士による列車衝突脱線転覆事故である。修学旅行のため乗車していた日本の高校生が事故に巻き込まれ、多数の死傷者を出し、事故後補償をめぐり日中間で政治問題化したほか、学校側の対応をめぐり日本国内では訴訟が起こされた[1]。
注釈
- ^ 事故で負傷はしたが生存している。
- ^ 鉄道のブレーキは機関車が客車を牽引する場合、列車全体に掛けられるブレーキと機関車だけに掛けられるブレーキの系統が分かれていることがある。この場合機関車と列車のブレーキを連結させるために、ブレーキホースを接続する必要がある。
- ^ 同国の「交通重罪」の刑罰は3年以上7年以下の懲役が規定されているという。参考までに日本の業務上過失致死の最高刑は懲役5年である
- ^ なお、同校の修学旅行は、同じ日時に中国へ行く班と東北へ行く班とに分かれていた。
- ^ 他には修学旅行生が速やかに帰国できるようにチャーター機の手配などの便宜を図った。
- ^ 朝日新聞[要文献特定詳細情報]の報道によれば中国では遺族年金の増額や、給料のよい職場に遺族を就職させることで対応したとの指摘もある。また中国人遺族に対する補償金は約27万円だったという
- ^ 事故原因は搭載されていたターボプロップエンジンの整備不良による空中爆発
- ^ 航空事故の事故賠償を定めたワルソー条約の最低額20,000USドルと同じ
- ^ 1978年3月に発生したビルマ国営航空(現在のミャンマー航空)の航空事故では、航空事故責任を免責する無責任約款で運行していることを理由に、経営者のビルマ政府(現在のミャンマー)が補償金の支払いを拒否している
- ^ 一例として1990年に発生した神戸高塚高校校門圧死事件では、事件の犠牲になった女子高生の遺族に兵庫県は6000万円の示談金を支払っている
- ^ 剣道において、攻撃特化で守りが極端に難しい上段を常用する剣士はかなり少ないといわれている。
出典
- ^ 上海列車事故 時事通信、2017年8月6日閲覧
- ^ 池井, 優. 上海列車事故をめぐる日中交渉. 法学研究 : 法律・政治・社会 (慶應義塾大学法学研究会). 1995-1, 68 (1): 54–55. ISSN 0389-0538
- ^ a b “上海列車事故 双方に過失 新事実、当局が再調査”. 毎日新聞. (2017年11月17日) 2017年11月17日閲覧。
- ^ 朝日新聞 (朝日新聞社): p. [要ページ番号]. (1988年9月23日)
- ^ 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 夕刊[要ページ番号]. (1988年11月25日)
- ^ 朝日新聞 (朝日新聞社): p. [要ページ番号]. (1988年6月23日)
- ^ 朝日新聞 (朝日新聞社): p. [要ページ番号]. (1988年8月2日)
- ^ 朝日新聞 (朝日新聞社): p. [要ページ番号]. (1989年2月27日)
- ^ 高知地方裁判所 平成元年(ワ)78号 判決大判例
- ^ “NHK高知「上海列車事故 遺族に報告書」”. NHKオンライン (日本放送協会). オリジナルの2008年12月8日時点におけるアーカイブ。 2009年3月7日閲覧。
- ^ その後、2006年5月24日には、作曲者・中山大三郎の直弟子だった半田浩二がカバーしたシングルが発売され、2008年10月14日の『NHK歌謡コンサート』で北山たけしの歌唱で放送されている。
- ^ 高知学芸高校同窓会関東支部15周年上海の旅 - 高知学芸高等学校同窓会関東支部(アーカイブ)
- ^ 『青森放送50年史』109ページ「ネットワーク強化の時代」より。
- ^ 『鉄道ファン』1989年3月号(通巻335号)p.76 沼田篤良「”オリエント急行”のプロジェクトを完遂して」
上海列車事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 01:17 UTC 版)
1988年3月24日、滬杭線外環線の匡巷駅付近において、滬杭線311列車と208列車が衝突、311列車に搭乗していた多数の日本人修学旅行生が死亡する事故があった(上海列車事故)。
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