万年首相候補
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 00:56 UTC 版)
「万年首相候補」と呼ばれ何度も首相候補と評されるも、余人の不評を買って政権獲得の夢を遂に果たせなかった。政治の主導権が軍部・官僚から代議士に移りつつある時代を象徴する人物の一人でありながら、後半生では政党政治への信頼を失わせる失策を行い(このためか、大内力、粟屋憲太郎、島田俊彦、桶谷秀昭が揃って「政権亡者」と評しており、中村隆英は「政界を放浪して笑いものにされた」、筒井清忠は「常に政治的タイミングの判断を誤る人であった」、福田和也も「ポストをもとめて、右に左にと政党会派を渡り歩く、信念のなさは折り紙つき」、松本清張も「彼はさしずめ『風見鶏』の元祖かもしれない」と、いずれも評価は芳しくない)、再び軍部・官僚を政治の主役へ押し上げる遠因を作った。一方で鉄道員の福利厚生に意を用い、公傷退職者を救済するため鉄道弘済会の創設に尽力した。発会に当たっては、5,000円という多額の寄付をしている。党人としては上杉慎吉や平生釟三郎の篤い後援を受けた。
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