ワンマン化から廃車まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/27 00:51 UTC 版)
「名古屋市交通局2000形電車 (軌道)」の記事における「ワンマン化から廃車まで」の解説
2000形の投入によって、名古屋市電に残存していた単車は駆逐された。栄町線では稲葉地車庫所属の1800形と、上江川線・下江川線では港車庫所属の800形と並走し、都心部の栄では800形や沢上車庫所属の1900形とクロスするなど、名古屋市電が誇る最新鋭の車両群と競演を重ねた。その後、1964年からモーターをはじめとした電気部品の冷却効果を高めるために前面バンパー下にスリットを入れる改造を行い、1966年~1968年にかけてワンマン改造を実施した。その際、前面ナンバー部分にワンマンカー表示灯を設置したため、ナンバーの文字を小型化したうえで系統板の下に移設している。 名古屋市電廃止の過程では、前述のように他車庫所属の路線を浄心車庫担当に変更して極力2000形を有効活用しようとしたが、1971年11月の熱田駅前~西稲永間廃止に伴う運用見直しによって、2001,2002,2029の3両が2000系初の廃車となり、残り26両も1972年3月1日の浄心車庫の廃止に伴い、他車庫に転属することなく全車が廃車となった。廃車後、民間に払い下げられた車両があったほか、2029が地下鉄東山線藤が丘駅近くにある藤が丘工場の正門脇にあった名古屋市電展示場に保存されたが、屋外展示による老朽化のため解体されてしまった。しかし、その後守山区の幼稚園に払い下げられていた2017が再度交通局に引き取られたうえで再整備され、現在では日進市の赤池駅近くにある「名古屋市市電・地下鉄保存館(レトロでんしゃ館)」で保存展示されている。 なおヘッド部分のみではあるが、名古屋市北区清水にある元旅行代理店に2025が保存展示されている。そばにある国道41号には、かつて清水口延長線があり、そこで同車両が走っていたからである。
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