ワシントン大学への復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 15:27 UTC 版)
「アーサー・コンプトン」の記事における「ワシントン大学への復帰」の解説
戦後、シカゴ大学のCharles H. Swift物理学特別功労教授(Distinguished Service Professor of Physics)を辞任し、セントルイス・ワシントン大学に戻り1946年に第9代学長に就任した。学長を務めている間、大学は正式に学部から差別を廃止し、初の女性の正教授を任命し、戦時中の退役軍人がアメリカに戻ってきたことで記録的な数の学生が入学した。国内の科学界における評判と人間関係により、多くの国内で有名な科学研究者を大学に採用することができた。しかし、このような功績にもかかわらず、完全な人種統合に向けた動きが遅くワシントン大学をアフリカ系アメリカ人へ門戸を開くセントルイスの最後の高等教育機関としたと当時そして後に歴史家から批判された。 1954年に学長から退任したが、自然哲学特別功労教授として教授陣に残り、1961年に常勤を辞めた。引退に際してマンハッタン計画における自身の役割を個人的に説明したAtomic Questを書き、1956年に発表された。
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