ロシア革命時に亡命、ハルビン、シアトルを経て神戸へ
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「フョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフ」の記事における「ロシア革命時に亡命、ハルビン、シアトルを経て神戸へ」の解説
1880年、ロシア・シンビルスクで生まれる。生家は祖父の代から続く商家であった。フョードルは盛んに交易を行って家業を発展させ、第一次世界大戦時には軍馬・軍服の調達にあたるなどロシア帝国のために働くようになった。 1917年、ロシア革命が勃発すると、家族を連れてハルビンへ逃れた。フョードルはハルビンを拠点に貿易を行い、白軍を支援しようとしたが計画は頓挫。1923年、家族とともにハルビンを離れアメリカ合衆国のシアトルへ移住したが生活が成り立たず、1924年にシアトルを離れ日本の神戸へ移住した。 神戸でははじめ羅紗の卸売を行っていたが、日本が急速に西洋化しようとしていたことに目をつけ、西洋の食料品を売る事業を興そうと考えた。試行錯誤の末、チョコレート菓子を中心に洋菓子を販売することにした。1926年3月、フョードルは白系ロシア人の菓子職人を雇いトアロード103番地に「Confectionery F.MOROZOFF」を開店した。この時、子のヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフも通っていた学校をやめ、菓子職人として店を手伝うことになった。フョードルにはハルビンやシアトルで菓子の製造に従事した経験があった。
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