レラ‐いせき〔‐ヰセキ〕【レラ遺跡】
レラ遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/26 02:31 UTC 版)
レラ遺跡 (Leluh, Lelu) は、ミクロネシア連邦に残る都市の遺構とそれを取り囲む先史時代・歴史時代の考古遺跡で、コスラエ島に付随するレラ島に残っている。柱状の玄武岩を組み上げた建造物群が残り、同様の構造物を多く含むナンマトル(ナン・マドール)とともに、ミクロネシア連邦を代表する巨石記念物である。残っているのは、14、15世紀頃に最盛期を迎えた文明のもので、19世紀初頭にヨーロッパ人たちが接触したときにまだ顕著であった要素を含んでいる[2]。
- ^ a b National Park Service (9 July 2010). "National Register Information System". National Register of Historic Places. National Park Service. 2020年10月12日閲覧。
- ^ “National Asian Pacific Heritage Month”. National Park Service. 2014年10月24日閲覧。
- ^ 高山 1983, p. 76
- ^ a b c d 印東 2005, p. 65
- ^ 印東 2005, p. 65、植木 1978, p. 194
- ^ 以上3つは植木 1978, p. 194
- ^ 植木 1978, p. 194
- ^ a b c 太平洋諸島センター 2013, p. 48
- ^ 植木 1978, p. 206
- ^ 植木 1978, p. 197
- ^ a b 植木 1978, pp. 199-200
- ^ 植木 1978, p. 195
- ^ 植木 1978, p. 205
- ^ 植木 1978, pp. 205-206
- ^ 高山 1983, p. 76
- ^ 植木 1978, p. 192
- ^ 植木 1978, pp. 192, 194, 196
- ^ 植木 1978, p. 196
- ^ 植木 1978, p. 195
- ^ 植木 1978, pp. 196-197
- ^ 植木 1978, pp. 200-203
- ^ ICOMOS 2016, p. 103
- 1 レラ遺跡とは
- 2 レラ遺跡の概要
- 3 概要
- 4 研究と保護の歴史
- 5 参考文献
レラ遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 15:17 UTC 版)
詳細は「レラ遺跡」を参照 コスラエ島に付随するレラ島にも、柱状玄武岩の巨石記念物であるレラ遺跡がある(表記揺れは当該記事参照)。東ミクロネシアにおいては、ナンマトルと双璧をなす中心地とされ、ミクロネシア連邦は将来的な世界遺産登録を視野に入れている。 レラ島の低地に築かれたレラ遺跡は柱状玄武岩を利用した巨石構造物群で、構造物群の間に水路を引いていた「半水城」という点などでナンマトルに類似する。規模はナンマトルの3分の1ほどだが、最大の遺跡キンジェル・フェラトの規模だけならば、ナンマトルの中心遺跡ナントワスに匹敵する。墓の様式などに違いはあるものの、伝承上はナンマトルよりも先に築かれたとされる。 考古学的知見からも確かに両者の交流は認められているが、逆にナンマトルがレラ遺跡に影響を与えたと考えられている。というのは、レラ遺跡の建設開始は1250年頃、巨石記念物群の建設開始に至っては1400年以降のことと考えられているからである。 なお、ナンマトル、レラの影響は、サプゥアフィク環礁(ポンペイ州)、ナムー環礁(マーシャル諸島)などにも拡散していったことが、それらの環礁に共通して見られる玄武岩製の神像から推測されている。
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