レメーニと日本とは? わかりやすく解説

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レメーニと日本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 02:32 UTC 版)

エドゥアルト・レメーニ」の記事における「レメーニと日本」の解説

レメーニは1886年7月伴奏ピアニストイジドア・ラックストーンIsidore Luckstone)、ソプラノ歌手ルイーザ・マルケッティ(Luisa Marchetti)、そのメイドとともに来日。まず神戸居留地にあった劇場で2公演行い日本人観客ゼロだった)、その後横浜向い8月居留地で5公演開いた一方で8月10日には昼に明治天皇ほかの御前演奏夜に鹿鳴館演奏会開いた御前演奏には、明治天皇のほか昭憲皇太后や、小松宮彰仁親王有栖川宮熾仁親王御一家などが出席した。なお、この演奏会昭憲皇太后以下の女性皇族宮中初め洋装着用したとなった。 レメーニがこの来日どのような曲を演奏したか、日本の新聞は全く伝えていない。当時一般的な日本人の、西洋音楽対す知識のなさのあらわれでもある。現に、当時東京日日新聞8月12日付)ではレメーニに関して中年越えた年輩にして頭は半禿げ眼光鋭くして一見して技芸達人たる容貌を備へたり」、「絶技のワイオリン(ヴァイオリン)を奏したるに序破急調子妙なる聴くものをして茫然たらしむに及へり」など、容貌とか演奏スタイルに関して書かれているものの、演奏曲目一切書かれていない曲目に関しては、横浜発行されていた英字新聞によると、横浜演奏会ではクロイツェル・ソナタパガニーニカプリス、レメーニ編曲による小品などが演奏されたようである。また、8月11日行われた日本での最後演奏会では、演奏中に按摩師の笛の音演奏会場聞こえてくるハプニングがあり、レメーニはこれに激怒して演奏一時中断し、音が聞こえてきた方を睨みつけていたという。 2002年(平成14年)7月明仁天皇美智子皇后ハンガリー訪問したさいの晩餐会の席での天皇あいさつにも1886年の「レメーニの御前演奏」について触れられているが、様子について「曲目については明記されていませんが,当時の記録から5曲が演奏されたことが分かっております」としている。

※この「レメーニと日本」の解説は、「エドゥアルト・レメーニ」の解説の一部です。
「レメーニと日本」を含む「エドゥアルト・レメーニ」の記事については、「エドゥアルト・レメーニ」の概要を参照ください。

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