レメーニと日本
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「エドゥアルト・レメーニ」の記事における「レメーニと日本」の解説
レメーニは1886年7月に伴奏ピアニストのイジドア・ラックストーン(Isidore Luckstone)、ソプラノ歌手ルイーザ・マルケッティ(Luisa Marchetti)、そのメイドとともに来日。まず神戸の居留地にあった劇場で2公演を行い(日本人の観客はゼロだった)、その後横浜に向い、8月に居留地で5公演開いた一方で、8月10日には昼に明治天皇ほかの御前演奏、夜には鹿鳴館で演奏会を開いた。御前演奏には、明治天皇のほか昭憲皇太后や、小松宮彰仁親王と有栖川宮熾仁親王の御一家などが出席した。なお、この演奏会が昭憲皇太后以下の女性皇族が宮中で初めて洋装を着用した場となった。 レメーニがこの来日でどのような曲を演奏したか、日本の新聞は全く伝えていない。当時の一般的な日本人の、西洋音楽に対する知識のなさのあらわれでもある。現に、当時の東京日日新聞(8月12日付)ではレメーニに関して「中年を越えたる年輩にして頭は半禿げ眼光鋭くして一見して其技芸の達人たる容貌を備へたり」、「絶技のワイオリン(ヴァイオリン)を奏したるに序破急の調子の妙なる聴くものをして茫然たらしむに及へり」など、容貌とか演奏スタイルに関しては書かれているものの、演奏曲目は一切書かれていない。曲目に関しては、横浜で発行されていた英字新聞によると、横浜の演奏会ではクロイツェル・ソナタ、パガニーニのカプリス、レメーニ編曲による小品などが演奏されたようである。また、8月11日に行われた日本での最後の演奏会では、演奏中に按摩師の笛の音が演奏会場に聞こえてくるハプニングがあり、レメーニはこれに激怒して演奏を一時中断し、音が聞こえてきた方を睨みつけていたという。 2002年(平成14年)7月に明仁天皇と美智子皇后がハンガリーを訪問したさいの晩餐会の席での天皇のあいさつにも1886年の「レメーニの御前演奏」について触れられているが、様子について「曲目については明記されていませんが,当時の記録から5曲が演奏されたことが分かっております」としている。
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