ルフトハンザ181便ハイジャック事件(ランツフート事件)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 02:26 UTC 版)
「ドイツの秋」の記事における「ルフトハンザ181便ハイジャック事件(ランツフート事件)」の解説
詳細は「ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件」を参照 2年前の1975年にペーター・ロレンツが誘拐された時には西ドイツ政府はRAFメンバーの釈放要求に応じたが、今回はさらなる釈放に応じようとせず強硬な姿勢を見せた。RAFはさらに事件を起こして政府に対し圧力を加えようとし、共闘関係にあったパレスチナ解放人民戦線(PFLP)の協力でルフトハンザ機のハイジャックを起こした。 10月13日、パルマ・デ・マヨルカからフランクフルトへ向かうルフトハンザ181便(ボーイング737-230型機、ランツフート号、Landshut、乗員乗客計91人)をPFLPのメンバー4人がハイジャックしローマに着陸させ、西ドイツ政府に対しRAFのメンバー11人の釈放と1500万米ドルを要求した。ランツフート号はラルナカ、バーレーン、ドバイを転々とした。しかしドバイから先はアラビア半島のどの空港からも着陸の許可は下りず、10月15日にドバイを離陸してアデンに強行着陸した。 10月17日朝、ランツフート号はソマリアのモガディシュに着陸した。ハイジャック犯に逆らいアデン離陸後に機内で処刑されたユルゲン・シューマン(de:Jürgen Schumann)機長の遺体は滑走路上に投げ捨てられた。ハイジャック犯たちはRAFメンバー釈放の最終期限を同日昼に、後に翌10月18日朝に延長したが、西ドイツ政府はすでに武力による事態の解決を決めており、対テロ特殊部隊GSG-9をラルナカからずっとハイジャック機の後に密着させていた。シュミット首相はソマリアの最高権力者モハメド・シアド・バーレとの交渉でGSG-9をハイジャック機に突入させる許可を得た。10月18日未明、最終期限の1時間前、GSG-9隊員が機内に突入しハイジャック犯を瞬時に制圧した。GSG-9隊員の1人と乗員1人が負傷したほかは乗員乗客は全員無事解放され、ハイジャック犯のうち殺害された3人を除く1人は逮捕された。
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