ヨーロッパ戦線への投入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 23:37 UTC 版)
「M26パーシング」の記事における「ヨーロッパ戦線への投入」の解説
1944年12月、ドイツ軍の行ったアルデンヌ攻勢(バルジの戦い)において、初めてまとまった数で投入された新型重戦車ティーガーIIは、アメリカ軍防衛線を一方的に蹂躙突破したとされた。事実は後の戦争映画などとは異なり、先陣を切って戦ったのはパンターであり、ティーガーIIは後衛であったが、以前から連合軍兵士の間には「タイガー恐怖症」("Tiger phobia")が蔓延しており、この時の敗北がそれをさらに悪化させた。自軍の戦車がドイツ軍重戦車に全く対抗できないという事実は、アメリカの新聞記事でもスキャンダルとして報道された。 これを無視できなくなった兵器局は、この段階でロールアウトしていたT26E3の生産数の半分である20輌を実戦試験の名目で配備、残り半数はフォートノックスで通常の試験に用いると緊急に提案した。これに対し、自分たちの失策を認めないAGFは反対したが、兵器局長に参謀総長の前での協議を恫喝的に提案され、妥協した。こうしてT26E3の投入はなし崩し的に決定され、同時に戦車の技術的な問題点を確認するための「ゼブラ調査団」が送り込まれた。 1945年1月、ようやく20輌のT26E3が第3機甲師団に実戦配備され、後の4月にはM26パーシング重戦車として制式化された。約6,000両が発注されたものの、1945年8月までに完成したのは1,436両であり、そのうちヨーロッパ方面には310輌のM26が送り込まれたが、終戦までに部隊配備が間に合ったのはその2/3程にすぎなかった。 なお、本来M26はティーガーIに対抗するものであり、データ的には火力と装甲においてティーガーIIに劣り、機動力においてはパンターに劣っている。このため、ティーガーIIに対抗できる長砲身の90mm砲であるT15E1(HVAP弾は距離914mで30度傾斜した220mm装甲を貫徹)を搭載した"スーパーパーシング"が企画され、T26E1の試作1号車の主砲を換装した車両が製作されている。この試作車は砲のバランスをとるための巨大な平衡装置が外部に露出していた。更に、内部収納型の油圧式平衡装置に改良した量産型のT26E4 スーパーパーシングが続いて25輌生産され、さらに1,000輌のM26をこのタイプに改修する計画もあった。しかし強力な代わりに分離式の薬莢を用いるT15は発射速度に劣り、終戦を迎えたこともあり以降の生産は全てキャンセルされた。
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