ポトマック川渡河
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 01:46 UTC 版)
「ゲティスバーグからの撤退」の記事における「ポトマック川渡河」の解説
7月13日朝、リーはミードが攻撃して来るのを待ちながらイライラし始め、北軍が南軍工作物の前に塹壕を掘っているのを見て当惑した。リーは辛抱できなくなって、「これは私には長すぎる。あれを待ってはいられない。...彼らは本の少しの勇気しか持っていない!」と言った。この時までに南軍の工兵隊がポトマック川に新しい舟橋を完成させ、川も渡渉できるくらいに引いていた。リーは暗くなってからの撤退を命じ、ロングストリートとヒルの軍団および砲兵隊はフォーリングウォーターズで舟橋を使い、イーウェルの軍団はウィリアムズポートで渡渉することとした。 ミードの命令はその軍団のうち4個軍団による威力偵察を7月14日午前7時までに始めるものとしていたが、この時までに敵軍が撤退した兆候が明らかになった。前進していた散兵が塹壕が空になっているのを見つけた。ミードは午前8時半に総軍追撃を命じたが、これだけ遅くなるとほとんど接触は起こらなかった。ビュフォードとキルパトリックの騎兵隊が、フォーリングウォーターズからまだ約1.5マイル (2.4 km) 離れた尾根にいたリー軍の後衛ヘンリー・ヒース師団を攻撃した。最初の攻撃は長い夜をほとんど寝ていなかった南軍を急襲し、白兵戦が続いた。キルパトリック隊が再度攻撃し、ビュフォード隊は敵の右と後方を叩いた。ヘスとペンダーの師団は2,000名ほども捕虜に取られた。ジョンストン・ペティグルー准将は手に軽傷を負っただけでピケットの突撃を生き延びた者だったが、フォーリングウォーターズで致命傷を負った。 ヘスに対して小さな成功を得ただけでリー軍を逃がしたことについて、エイブラハム・リンカーン内閣の極度の鬱憤は収まらなかった。大統領は「我々は彼らをこの手で掴めるところだった。もう少し手を伸ばせば捕まえられたのだ。もはや言うこともないし、陸軍に何をさせることもできない。」と言ったと、ジョン・ヘイが語った。
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