ポストシーズンでの活躍
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「マーク・レムキー」の記事における「ポストシーズンでの活躍」の解説
レムキーは現役時代にポストシーズンには62試合に出場して通算打率は.272という成績を残しているが、その数字以上に印象的な活躍が光っている。 1991年のワールドシリーズ(対ミネソタ・ツインズ)では7試合で24打数10安打の打率.417で、第3戦ではサヨナラ安打を放っている。 1992年のリーグチャンピオンシップ(対ピッツバーグ・パイレーツ)では7試合で26打数7安打、打率.333。 1996年のリーグチャンピオンシップ(対セントルイス・カージナルス)では7試合で27打数12安打、打率.444・1本塁打・5打点。
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ポストシーズンでの活躍
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「ロジャー・クレメンス」の記事における「ポストシーズンでの活躍」の解説
1986年のア・リーグ優勝決定シリーズでは、第1戦に打ち込まれ、第4戦では自身が守り抜いた3-0のリードを救援陣が打ち込まれ、そして第7戦では好投してレッドソックスをワールドシリーズに導いた。この第7戦での勝利はクレメンスにとって人生初のポストシーズン勝利であり、2個目を挙げたのはその13年後であった。 1986年ワールドシリーズ第2戦では打ち込まれたものの、第6戦では再びマウンドに登り、その試合で本来ならばレッドソックスが勝つはずであった。7回を投げ3-2で勝っている所で降板したものの、延長10回で結局負けてしまい、ワールドシリーズ自体も敗退。この際のクレメンス降板が、結果的に後続が打たれたことから批判を浴びる対象となった。当時のレッドソックス監督ジョン・マクナマラ(英語版)はクレメンスのマメが潰れたため降板させたと述べているが、後年本人はそれを否定している。 クレメンスのポストシーズンにおける最も大きな敗北は1990年ア・リーグ優勝決定シリーズ第4戦対オークランド・アスレチックスであり、その試合でクレメンスは審判と抗議した末退場処分をくらい、レッドソックスもその試合に負け4連敗で敗退してしまった。1991年シーズンの最初の5試合に出場停止処分を受け、また罰金1万ドルも課せられた。この他にも勝敗がつかない先発登板を1988年と1995年に経験しており、両方のシリーズでレッドソックスは4連敗を喫している。しかし、これらの成績を差し引いてもレッドソックスのエースはクレメンスだという事実は揺れ動かなかった。レッドソックスでのポストシーズンの通算成績は1勝2敗、防御率3.88に45奪三振である。 1999年のポストシーズンでヤンキースが唯一負けた試合はクレメンスが先発登板していたボストンとの試合(相手投手はマルティネス)であったが、その後クレメンスはポストシーズンでの成績も上昇していく。ヤンキースでのワールドシリーズでは通算3勝0敗であり、その中には2000年メッツとのワールドシリーズで0勝2敗で、勝たなくてはいけない登板で勝った試合も含まれている。クレメンスのヤンキースでの通算成績は7勝4敗、防御率3.17に98奪三振である。 アストロズでは、2004年ナ・リーグ優勝決定シリーズ第7戦対カージナルスでの敗戦投手であった。2005年のポストシーズンでの活躍は明暗がくっきり分かれてしまった。リリーフ登板してチームを救った試合もあれば、ワールドシリーズでは2回ですぐに降板してしまった。アストロズでのポストシーズンの通算成績は4勝2敗、防御率4.60で29奪三振である。 クレメンスのポストシーズンでの通算成績は34試合に先発し12勝8敗であり、防御率はシーズンの通算成績より0.6以上も悪い。
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