ボールデンへの賛辞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 09:17 UTC 版)
「バディ・ボールデン」の記事における「ボールデンへの賛辞」の解説
シドニー・ベシェはボールデンの栄光をたたえて「バディ・ボールデン・ストンプ(Buddy Bolden Stomp)」を作曲した。 デューク・エリントンは1957年の組曲「ア・ドラム・イズ・ア・ウーマン(A Drum is a Woman)」の中でボールデンに敬意を表した。そのトランペット・パートはクラーク・テリー Clark Terry が担当した。 ドクター・ジョンは、彼のアルバム『ゴーイン・バック・トゥ・ニューオーリンズ(Goin' Back to New Orleans)』(1992年)のライナー・ノーツの中で、「I Thought I Heard Buddy Bolden Say」(トラック 5)を「ジャズの先駆者についてのジェリー・ロール・モートンの思い出」と評した。 ルイ・アームストロングは1936年の自伝『Swing That Music』で以下のように書いた。 そういえばここでバディーボルデンの名前に触れないわけにはいかない。ニューオリンズに生まれ育ち、ジャズの誕生を目撃した僕らならだれでも知っているが、そもそも彼が創始者だったんだ。彼はコルネットを持って1905年にニューオリンズに迷い込んできた。彼がホーンを放り投げるもんだから、みんなは彼が完全にいかれていると思ったらしい。バディーは酒びたりになっていった。多くのホットなミュージシャン同様、週のうち2、3晩は寝ずに働いていたからだ。彼らは落ち込んで、さらに飲む。彼らのうち、あまりに多くが若いうちにバディーみたいに崩壊していった。ボルデンの音はあまりにうるさくて強かったんで、静かな日には1マイル(1.3km)離れていても彼の音が聴こえたそうだ。この物語の悲しい部分は、彼が数年後実際に発狂してしまって、まだミシシッピ州ジャクソンの精神病院にいるってことだ。でも彼が発病する前には彼は街の小さなパーティーでは嵐みたいだったということだ。たしか、ディキシーランド(ジャズ・バンド)がやってきたときに彼は行ってしまった。ボルデンは疑いなく最初の偉大な個人のジャズ・プレーヤーだったが、ディキシーランドみたいなバンドを持ったことがなく、ニューオリンズの外部ではまったく知られなかった。 彼はただの一匹狼の天才で、みんなから先に進みすぎていた。時代を先取りしすぎていたんだ。
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