ホンダ・MVX250F
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/15 15:38 UTC 版)
MVX250F (エムブイエックスにひゃくごじゅうエフ)は、かつて本田技研工業が製造販売したオートバイである。
注釈
- ^ 2ストローク3気筒エンジンは、カワサキマッハ→KHシリーズやスズキGTシリーズなど直列3気筒では例がある。
- ^ 当時の本田技研工業では原動機付自転車クラス以外のスポーツモデルは4ストロークを主軸に据えていた。
- ^ 発表前年となる1982年は東京モーターショーが非開催。このようなケースでの新型モデル発表は海外モーターショーで参考出品されるのが通例であるが、本モデルはほぼ同時期に西ドイツ(現・ドイツ連邦共和国)で開催されるケルンモーターショーをはじめ一切のアナウンスがなかった。
- ^ ただし厳密には完全ではない。
- ^ 本構造は1968年式スズキ50 cc GPレーサーRP68と全く同じ。
- ^ 原動機番号5,000番台以降は製造段階よりシリンダーにメッキを施工した俗説があるがそのような事実はない。
- ^ 自動車用ブレーキローターは構造上の関係で見た目があまり問題にならないためほぼ100パーセント鋳鉄製である。
- ^ ブレーキローター素材は鋳鉄である[注 7]。これは一般的にオートバイに採用されるステンレス製ローターよりも摩擦係数が大きいので軽いタッチで良好な制動力が得られるメリットから採用された。その半面で錆びやすいというデメリットがある。
- ^ ただしリヤドラム径は本モデルの方が大きい[3]。
- ^ 北海道・沖縄は6,000円高。一部離島は除く[1]。
- ^ 399,000円で北海道・沖縄は6,000円高[4]。
- ^ 上述2モデルに対し最高出力では劣るものの加速性能は同等で、乾燥重量の軽さ・VT250Fで好評だった16インチフロントホイール・プロリンクサス・インボードフロントブレーキなどで走行性能は高く評価された[5]。
- ^ このため試作車の発表まで行われた本モデルの上位車種となるMVX400Fは販売中止が発表されたが、時期的には小売店へセールスガイドの配布が行われ一部のパーツが補修用名目で購入可能でオプションカタログでは一部の品番にMVX400Fの記載があったなことなどから製造開始直前であったと推察される。また後に販売されたNS400Rはエンジンレイアウトが本モデルと同じだが、設計変更されラバーマウント方式が採用された[5]。
- ^ エンジンそのものも第2シリンダー排気チャンバーの取り回しで近くに配置されていたバッテリーを溶解させ電装トラブルを起こし、焼付と誤解させる認識を助長する一因ともなった[5]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m 1983年1月19日プレスリリース
- ^ 思い出の国産車たち Part.2 Honda MVX250F、PP. 94-96
- ^ a b 思い出の国産車たち Part.2 Honda MVX250F、PP. 96-97
- ^ 1982年5月25日プレスリリース
- ^ a b c 思い出の国産車たち Part.2 Honda MVX250F、PP. 98-99
- 1 ホンダ・MVX250Fとは
- 2 ホンダ・MVX250Fの概要
- 3 評価
- ホンダ・MVX250Fのページへのリンク