ベンガル・オリッサの征服
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「アクバル」の記事における「ベンガル・オリッサの征服」の解説
グジャラート征服後、アクバルはベンガル地方に目を付けた。このガンジス川一帯に広がる地域もまた、グジャラート地方と同じく重要な地域であった。 ベンガル地方はベンガル・スルターン朝によって統治されており、王朝のアフガン系君主らは帝国に面排服従の態度をとっていた。だが、1572年にダーウード・ハーン・カララーニーが君主となると、彼は金曜礼拝の説教を皇帝ではなく自身の名で唱えさせ、独立君主であるかのように振る舞っていた。 1574年8月、アクバルは急遽自ら遠征してムヌイム・ハーンの軍勢とも合流し、パトナを占拠し、ダーウード・ハーンを追放した。彼はトーダル・マルを副将としてムヌイム・ハーンに付け、イティマード・ハーンやラシュカル・ハーンといった官僚も中央から派遣して督戦にあたらせた。 これにより、アクバルは監察らを通してベンガル遠征軍の状況を知りえることが出来た。彼らは皇帝の大輪のような役割を果たし、1575年4月にムヌイム・ハーンがダーウード・ハーンと和議を結んだ際には、トーダル・マルは皇帝の意志を代弁する形で交換文書に署名を拒否した。 同年10月、ムヌイム・ハーンがベンガル遠征のさなかに死亡した。アクバルは後任の太守にハーン・ジャハーンを任命し、ビハール太守ムザッファル・ハーンと協力して遠征を継続した。 1576年7月、アクバルは新たに大規模な遠征軍を派遣し、ガンジス川西岸のラージマハルでダーウード・ハーンを敗死させ、ベンガル地方を併合した。 一方、ベンガル地方の南西に続くオリッサ地方はクルダー王国やアフガン勢力が割拠していたが、ビハール州太守マーン・シングにより1592年4月までに併合された。
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