プログラミングと学業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 10:00 UTC 版)
「ジュリアン・アサンジ」の記事における「プログラミングと学業」の解説
1993年、オーストラリアにおける初期のインターネットサービスプロバイダである「サバービア・パブリック・アクセス・ネットワーク」の立ち上げに関わる。1994年からはフリーソフトウェアプログラマおよび開発者としてメルボルンに住んでいた。1995年、アサンジはStrobeというフリーソフトウェアでは最初のポートスキャナを書いた。1996年にはPostgreSQLのプロジェクトにパッチを投稿している。1997年に発行されたスーレット・ドレイファス著『Underground: Tales of Hacking, Madness and Obsession on the Electronic Frontier』には、彼と「International Subversives」にまつわる経緯を提供し、リサーチャーとしてクレジットされた。1997年頃からは、Rubberhoseという否定可能な暗号化システムの開発に共同で携わっている。これはLinux用パッケージとして作られた暗号化コンセプトで、締め上げ暗号分析に対して十分な否定可能性を提供するために設計された。アサンジは当初このシステムを「人権活動家がその分野の機密データを保護するためのツール」として使うことを想定していた。その他、彼が開発に携わったフリーソフトウェアにはNNTPCacheというUsenetのキャッシュソフトや、SurfrawというWebベース検索エンジンのCLIが含まれる。1999年、アサンジは「leaks.org」というドメイン名を取得した。「が、結局何もしなかった」 伝えられるところによると、アサンジは6つの大学に複数回通っている。2003年から2006年の間に彼はメルボルン大学で物理学と数学を学んだ。物理学と神経科学も学んでいた。卒業することはなく、所属する数学コースでも及第点ぎりぎりの点数しか得ていなかった。彼個人のウェブページによると、2005年頃、オーストラリア物理学コンテストに代表として参加した。
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