プラマック・ダンティーン ( 2005 - 2007)
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2005年、ダンティーンMotoGPとプラマック・レーシングは共同で「プラマック・ダンティーン」として参戦することとなった。チームは前年型のドゥカティ・デスモセディチ GP4を使用し、ライダーにイタリアのロベルト・ロルフォを擁した体制だった。タイヤはダンロップを使用したが、最下位近辺の常連となってしまった。 2006年は、ワークスチームと同じ最新型のデスモセディチ GP6を供給された。ライダーは新たにアレックス・ホフマンとホセ・ルイス・カルドソの2人体制となった。しかしまたもダンロップタイヤの競争力不足で、最下位近辺から抜け出すことはできなかった。 2007年のシーズン開幕前、ダンティーンMotoGPはプラマック社の傘下に入ることが発表された。 排気量制限が800ccに変更になった2007年は、最新型デスモセディチ GP7を供給され、タイヤはブリヂストンにスイッチした。ブラジルのアレックス・バロスが新たに加入し、ホフマンのチームメイトとなった。バロスはトップ10圏内の常連となる活躍を見せ、第6戦イタリアGPでは3位表彰台に立った。一方のホフマンは第11戦アメリカGPでプラクティス中に手に重傷を負い、欠場を余儀なくされた。同GPでは代役にチャズ・デイビスが、第12戦チェコGPではイヴァン・シルヴァが採用された。ホフマンは第13戦サンマリノGPで復帰したが、その次の第14戦ポルトガルGPを最後にチームを解雇された。ポイント獲得の可能性があったにもかかわらず、レース中にやる気を無くして勝手にマシンを降りたのがチームの怒りを買ったためである。シーズン残り3戦は,再びチャズ・デイビスが代役を務めた。
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