ブレーブス・ダイナミック・アワー
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「MBSベースボールパーク」の記事における「ブレーブス・ダイナミック・アワー」の解説
1976年〜1980年のプロ野球シーズンで、日曜日の夜に放送された阪急ブレーブスの試合中継・関連番組である。パーソナリティは島よしのり。松井昭憲(当時はMBSアナウンサー)などがリポーターを務めた。 阪急がホームゲームを開催する場合には、ナイトゲームの生中継か、デーゲームの録音中継で試合終了まで放送(後者の場合には収録音源を報道素材としてNRNに提供)。ビジターゲームの場合には、デーゲーム時はその試合のダイジェストや阪急選手へのインタビューなどで構成した他、ナイトゲーム開催時は関西圏(近鉄・南海)以外の開催でも乗り込み自社制作(開催地のNRNまたはJRN系列局の技術協力)で放送することがあった。開始当初のポスター(公益財団法人阪急文化財団所蔵)には、開始の前年(1975年)に阪急がパ・リーグ優勝を経て日本シリーズへ進出していたことを踏まえて、「V2(2連覇)に燃える阪急ブレーブスの日曜全ゲームを日本縦断中継!ご声援よろしくおねがいいたします」という文言を掲載(実際にはV2を達成)。ビジターゲームの中継も示唆していた。また出演者として実況に城野昭(MBSアナウンサー)、解説に青田昇・永井正義、スタジオアナに松井昭憲(MBSアナウンサー)が記載されていた。 一例として、1979年7月29日には、ロッテ主催試合を川崎球場から放送した(解説:米田哲也、実況:結城哲郎。雨傘番組は当番組のスタジオバージョンを編成。技術協力をLFとTBSのどちらが担当したかは不明)。 初年度の1976年については在阪球団主催のNRNナイターには裏送り参加(近鉄・南海主催を含む阪急戦が本番の場合は本番組と別制作)としたが、同時期に阪神タイガースがABCラジオと優先契約を結んだことや、関西地区に日曜NRNナイターのスポンサーセールスが行われないなどの問題も生じたことから、1977年からNRNナイターの担当をラジオ大阪へと移管させ、土曜日のナイター放送をニッポン放送ショウアップナイターとの2局ネットを基本とする編成に変更した。 阪急東宝グループ(同球団の親会社の阪急電鉄・阪急百貨店)の買い切り番組で、営業成績は良かったが、聴取率は芳しくなかったとされる。ちなみに、1979年には巨人戦、1980年には阪神戦主体の『ダイナミック - 』と交互に放送された。 前述したように、1978年5月14日には、ウエスタン・リーグの阪急対近鉄ナイトゲームを西宮球場から中継した。この年に阪急へ入団した三浦広之投手が「球界の玉三郎」と呼ばれるほどの人気を博していたことや、三浦がウエスタン・リーグの開幕戦から3試合連続完封勝利などの好投を続けていたことを背景に、阪急球団からの要請で同リーグ公式戦のラジオ生中継が初めて実現した。阪急球団は試合の2日前から三浦の先発を予告していたが、試合では三浦が4回表までに6点を失ったため、MBSでは三浦が降板した6回表で生中継を終了(試合は4-8で阪急が敗戦)。終了後は、この試合の前に催された一軍(パ・リーグ公式戦)の阪急対近鉄デーゲームの実況を収録した音源をダイジェスト形式で流すことによって、予定の放送枠を消化した。
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