阪急西宮スタジアム
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阪急西宮スタジアム(はんきゅうにしのみやスタジアム、Hankyu Nishinomiya Stadium)は、かつて兵庫県西宮市にあった、阪急電鉄(法人としては現在の阪急阪神ホールディングス)が所有していた多目的スタジアム。阪急西宮北口駅前(南東側)にあった。
注釈
- ^ 1960年までは大阪タイガース。
- ^ オリックスの西宮での最後の試合は、1992年7月1日の日本ハムファイターズ戦。
- ^ 閉場後の2017年に放送持株会社体制に移行、テレビ・ラジオとも同名新法人による運営となる。さらに2021年4月にはラジオがMBSラジオとして分社化された。
- ^ 閉場後の2018年に放送持株会社体制に移行、テレビは朝日放送テレビ、ラジオは朝日放送ラジオとなる。
- ^ 同時期の阪神主催の公式戦開催は、1997年以降は同年に開場した大阪ドームで行われている。
- ^ 優勝者には施設所有者である阪急電鉄から副賞として、かつてあった西宮北口駅のダイヤモンドクロス(直角平面交差)に因んで1カラット相当のダイヤモンドが贈られた。
- ^ 全国場外発売を実施。「特別競輪」と称したが、格付けは現在で言うFI相当(S級シリーズ)であった。但し、当時のトップレーサー神山雄一郎などが参加しており、メンバーの顔ぶれは開設記念並みであった。
- ^ 実際には一部に空調完備の特別観覧席を設置していたものの、収容人員が限られることから団体客などごく少人数に限られ、一般客は利用できなかった。
- ^ 兵庫県下の19市1町による一部事務組合。なお、組合が結成される前は西宮市や尼崎市など各自治体が独自で主催者となって競輪開催を行っていた。
- ^ 浜崎真二の項目によると、浜崎自身の著書の中で、「小林社長がもう少し野球に金をかけてくれたら、阪急の低迷は長くはならなかったのでは」と綴っている。
- ^ 小林一三によると、「私が死んでもタカラヅカとブレーブスだけは売るな」と言い残したらしく、阪急ブレーブスに対する愛着があったが故の決断だった。
- ^ 1978年当時の西宮球場長・安宅隆によると、興行収入は競輪を3日(1節)開催してブレーブス公式戦1年分になるとされる。
- ^ 400m、500mバンクならばみなし直線部に入ってから踏み出すケースが多い追い込みタイプの選手であっても、当地では少なくとも2センター付近辺りから捲り気味に踏み出さないことには、前方の選手を追い抜くことが容易ではなかった。裏を返せば、その辺りから踏み出した選手が、ゴール直前に入ってビューンと伸びてくるケースが少なからず見られた。
- ^ 阪急百貨店に就職してから職場・一般部門として全日本吹奏楽コンクールに出場することになっていた。
- ^ 現在の高松町南交差点の北東角にある阪急西宮ガーデンズ駐輪場に当たる場所が、ゴルフ練習場であった。
出典
- ^ 参考:ベースボールマガジン2001年夏季号「野球場大特集」
- ^ a b c d e “【球跡巡り・第10回】昭和の時代に勇者たちが駆けた舞台 阪急西宮スタジアム”. 日本野球機構 (2018年12月26日). 2019年2月10日閲覧。
- ^ a b c d “「一三イズム」浸透 白亜の球場 虎番疾風録番外編33”. 産経新聞 (産業経済新聞社). (2020年7月22日) 2023年7月15日閲覧。
- ^ 「町名の話 -西宮の歴史と文化- 」p.238
- ^ 思い出の西宮第二球場 げんまつWEBタイガース歴史研究室
- ^ 『日本プロ野球偉人伝 1934-1940編プロ野球誕生期の37人の豪傑たち』、ベースボール・マガジン社、2013年、p67
- ^ “池田文庫の本棚放浪記 【第15回】~闘牛~”. 公益文化財団阪急文化財団. 2021年2月22日閲覧。
- ^ 【勇者の物語】「一三イズム」浸透 白亜の球場 虎番疾風録番外編33 - 産経ニュース
- ^ 「世界初の打率表示機」週刊ベースボール別冊 よみがえる1958-69年のプロ野球 [Part.2] 1959年編 南海、涙の御堂筋パレード ベースボール・マガジン社.2023年.P64
- ^ “今季の「甲子園ボウル」08年までの方式に戻す予定”. nikkanports.com. 日刊スポーツ新聞社. (2020年7月15日) 2020年7月15日閲覧。
- ^ 阪急ブレーブス 五十年史 阪急電鉄、阪急ブレーブス著 1987年 p273,274
- ^ a b “【話の肖像画】「世界の盗塁王」元プロ野球選手・福本豊 (73) (26) 引退もついでだった”. 産経新聞. (2021年3月19日) 2022年11月26日閲覧。
- ^ 読売新聞阪神支局 2019, p. 218.
- ^ “カンテレ開局65周年記念 3000人の吹奏楽ファイナル イベント 関西テレビ放送 カンテレ”. イベント. 2022年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月7日閲覧。
- ^ a b “【日本選手権競輪】いわき平競輪実況・中川建治アナウンサーに聞いた「こんな選手は要チェック!」”. netkeirin (2022年4月23日). 2022年8月1日閲覧。
- ^ 西宮競輪場 - 競輪らんど
- ^ 井上和巳のバンクのつぶやき続編10 - KEIRIN.JP
- ^ 西宮競輪場 - 鷲田善一の世界
- ^ なぜ廃止…歴史の闇に葬られた西宮競輪 - デイリースポーツ、2013年10月25日付。
- ^ 別冊宝島270「競輪マクリ読本 ギャンブルの王様・競輪なんてカンタンだ!」(1996年8月3日発行、ISBN 4-7966-9270-3)p.26
- ^ 別冊宝島343「競輪打鐘(ジャン)読本 バンクの“鬼”たちが叫びまくる!」(1997年11月15日発行、ISBN 4-7966-9343-2)p.178
- ^ a b c d 読売新聞阪神支局 2019, p. 200.
- ^ 読売新聞阪神支局 2019, p. 202.
- ^ 読売新聞阪神支局 2019, pp. 216–217.
西宮球場
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やはり人工芝化された1978年から使用。甲子園と同じくダイハツ製で、ボールを半分に切ったような形状だった。
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