フランス統治時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/08/15 13:34 UTC 版)
19世紀から20世紀初頭のフランス統治時代、他のセネガルの地域と同様にフランスは族長など地域の権力者を利用してカザマンス地方も治めようとした。しかしカザマンスの住民ジョラ族は階級制度を持たない上、カザマンス社会には地域の権力者も存在しなかった。そこでフランスはマンディンカ族の族長をカザマンスに移住させ、カザマンスを治めようと試みた。しかしジョラ族はこれに反発し、フランスに対する激しい抵抗運動が1930年代まで続いた。1943年には伝統的女性司祭en:Aline Sitoe Diatta (仏: Aline Sitoé Diatta)に率いられた抵抗運動が起きた。この運動はフランス軍によって弾圧され、この女性司祭は現在のマリ共和国のトンブクトゥで投獄され、その後亡くなった。彼女はカザマンスの人々の誇りとなり、「カザマンスのジャンヌ・ダルク」とも呼ばれた。1950年から1970年にかけて、中国人がカザマンスで稲作の技術改良を行った。[要出典]
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