フラッパーの外見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 16:15 UTC 版)
フラッパーはその不遜な態度とともに、特徴的なファッションでも知られていた。主にフランスからの流行、とくにココ・シャネルの先進的なスタイルを取り入れたもので、当時爆発的な流行を見せていたジャズを伴奏として踊るダンスに向いたドレスが人気となった。フラッパーの外見はフランスでは「ギャルソンヌ (仏: garçonne、「少年」の女性形)」と呼ばれるようなボーイッシュなもので、髪型はショートヘア、ドレスは腰部のくびれがないストレートなシルエットで胸を平らに見せるものだった。遅くとも1913年までには、痩身の若い女性が典型的なフラッパーのイメージとなっていた。アメリカ人オペラ歌手リリアン・ノーディカ (en:Lilian Nordica) は、1913年のニューヨークで流行していたファッションについてコメントを残している。 小さくてやせっぽちのフラッパーが、白い歯をきらめかせながら、激しいステップを踏むのに向いたスカートと薄汚いバケツみたいな帽子を身に着けて、5番街を軽い足取りで歩いていた。 1910年代初めの時点では、フラッパーのファッションはフランスの少年のようだとみなされていた。1920年代でも、フラッパーの典型的なファッションだった頭にフィットした帽子はこの当時から好まれていたが、スカートは丈の短いものよりも裾を極端に絞ったホブルスカート (en:Hobble skirt) が多かった。 ショートヘア、腰部のくびれのないストレートなドレス、ひざ丈のスカートといった、現在フラッパーの典型と考えられているスタイルは、1926年ごろから見られるようになり、型破りなファッションと挑発的な振る舞いと「フラッパー」という言葉が同一視されるようになった。1915年の『タイムズ』には、フランス駐在軍のクリスマスの娯楽が「青いショートスカート、パリジャン風の帽子、フラッパーの髪型」で女装した兵士が演じる艶笑劇だったという記事が掲載されている。 フラッパーが女性のファッションにもたらした重要な点として、身体を締め付けていたコルセットの追放、スカート丈やガウン丈の短詰、ショートヘアのボブカットが挙げられる。こういったスタイルを世間に浸透させることに貢献したのが、オリーヴ・ボーデン (en:Olive Borden)、オリーヴ・トーマス、ドロシー・マッケイル (en:Dorothy Mackaill)、アリス・ホワイト (en:Alice White)、ビーブ・ダニエルズ、ビリー・ダヴ (en:Billie Dove)、ヘレン・ケイン、ジョーン・クロフォード、レアトリス・ジョイ (en:Leatrice Joy)、ノーマ・シアラー、ローラ・ラ・プランテ (en:Laura La Plante)、ノーマ・タルマッジ、クララ・ボウ、ルイーズ・ブルックス、コリーン・ムーアといった女優たちだった。1920年代初頭にはフラッパーが、新聞の『ブロンディ』や『フリッツィ・リッツ(英語版)』(アーニー・ブッシュミラー(英語版)著)『Mopsy(英語版)』(グラディス・パーカー著)、『Flapper Fanny Says(英語版)』(エセル・ヘイズ(英語版)著)といった連載漫画に登場するようにもなっている。
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