フォークランド諸島への定住の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/21 23:16 UTC 版)
「フォークランド英語」の記事における「フォークランド諸島への定住の歴史」の解説
アルゼンチン東部沖にある、約780の島嶼で構成されたフォークランド諸島は1690年にイギリスが探検にやってきたとき、先住民族が存在しなかった。定住は1833年にイギリス軍がアルゼンチン兵士26名を諸島から追い出して、諸島の領有を主張したことで始まった。1845年、東フォークランド島で首都のスタンリーが設立された。アルゼンチンも諸島の領有を主張しており、1982年に諸島に侵攻した。当時のイギリス首相マーガレット・サッチャーは諸島の住民が「イギリスの伝統と家系である」と述べ、イギリス支配を守った。3か月に満たないこの戦争で1,000人近くが殺害され、2,000人以上が負傷した。イギリスとアルゼンチンの間の領土問題は残っていたが、2013年の選挙でも住民の98%以上がイギリス領に残ることを選択していたため、諸島の住民は一般的にイギリスに帰属すると自認している。この歴史はフォークランド諸島英語の言語学上の特徴にも影響した。その特徴とは、イギリス英語と似ているが、一部の発音と語彙が異なることである。
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