フェデラル・ワン
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世界恐慌に端を発した大不況時代における第二期ニューディール政策の一環、かつ最重要政策として、失業者救済にあたったWPA(雇用促進局・公共事業促進局)が打ち出した施策が、芸術家支援計画「フェデラル・ワン」であった。連邦劇場計画はその一部である。 その第一目的は失業した演劇人たちの雇用にあったが、二次的な目的として、貧困家庭への娯楽提供や、舞台美術や舞台音楽など関連する芸術分野の作品創作があった。連邦劇場計画は立法・行政の手続きを踏んで1935年9月12日に発足し、その投資活動が解消された1939年6月30日まで存続した。連邦劇場計画はフェデラル・ワンの中でも最も多くの予算(総予算の29.1%)を費やした部門だった。 WPAの局長・ハリー・ホプキンスは、名門女子大ヴァッサー大学(Vassar College)の教授で劇作家でもあったハリー・フラナガン(Hallie Flanagan)をFTPの責任者に任命した。彼女が受けた任務は、数千人の失業演劇人を雇用するために、できる限り早急に多数の劇場を「国営劇場」として確保するという気の遠くなるような仕事だった。ホプキンスはさらに、FTP事業は「自由で、大人向きで、検閲なし」であるべきだと彼女に約束した。やがて、この「自由で、大人向きで、検閲なし」という謳い文句はホプキンスやフラナガンの仕事やFTP事業全体を縛ることとなる。
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