ファースト・ナショナル
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「コリンヌ・グリフィス」の記事における「ファースト・ナショナル」の解説
1923年、3年間の婚姻の後、夫のウェブスターは虐待的なアルコール依存症であると主張して離婚。同年、ヴァイタグラフ・スタジオを去り、ファースト・ナショナル(英語版)と週に10,000ドルという高額な契約を結び、同社で最も人気のあるスターの1人となった。スタジオでの最初の映画は、フランク・ロイド監督の『Black Oxen』(1923年)で、彼女は神秘的なオーストリアの伯爵夫人を演じた。この映画は共演がコンウェイ・タール(英語版)とクララ・ボウでヒットした。 1924年2月、映画プロデューサーのウォルター・モロスコ(英語版)と結婚。同年、3本の映画『Single Wives』、『Love's Wilderness』、『闇を行く女』(Lilies of the Field)で主演し、製作総指揮も兼任した。1927年までにグリフィスは映画制作の収入から不動産への投資を始め、当時約500,000ドル相当の不動産を所有していた。 1928年、ユナイテッド・アーティスツの『楽園に帰る』(The Garden of Eden)に主演、批評家からは賞賛されたが、興行的には振るわなかった。この映画の興行的低迷に失望したグリフィスはファースト・ナショナルに戻り、フランク・ロイド監督による同期された音楽はあるものの、会話は伴わないサウンドフィルム『情炎の美姫』(1929年)に出演した。この作品における演技は、アカデミー主演女優賞へのノミネートを始め多大な賞賛を得た。 グリフィスの初のトーキーは、以前に同じ役で主演した1924年のサイレント映画『闇を行く女』のリメイクである『野の白百合』(Lilies of the Field)であった。鼻声と見なされたグリフィスの声はうまく録音されず(ニューヨーク・タイムズは彼女が「鼻を介して話した」と報じた)、映画は興行的に失敗であった。翌年、『Back Pay』(1930年)に主演、この作品はファニー・ハースト(英語版)の原作に基づき、グリフィスの最後の映画出演として宣伝された。『Back Pay』から2年間の空白期間の後、イギリスの映画『Lily Christine』(1932)に出演、その後スクリーンから完全に姿を消した。
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