ビジーフォー
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ビジーフォー[1]は、1978年に結成されたコミックバンド。
- ^ ビージーフォーは誤り。
- ^ a b モト冬樹 (2017年2月13日). “いそがしバンド誕生”. 2022年5月8日閲覧。
- ^ モト冬樹 (2021年6月21日). “いそがしバンドからビジーフォーSPまで秘蔵写真公開”. 2022年5月8日閲覧。
- ^ イジリー岡田『イジリー岡田のニッポンのアイドル』2016
- ^ モト冬樹プロフィール|株式会社ニート http://www.neat-inc.jp/motofuyuki.html
- ^ 山口は、ビジーフォーとは別のバンド「エド山口&東京ベンチャーズ」のメンバーで、リーダーを務めた。
- ^ モト冬樹 (2017年2月28日). “ビジーフォー解散”. 2022年5月8日閲覧。
- ^ “芋洗坂係長 ウガンダ・トラを偲ぶ「カレーの忌」の様子を報告”. Ameba News (2017年6月3日). 2022年5月8日閲覧。
- ^ “「ウガちゃんは悩みの多い芸能人の駆け込み寺でした」”. 日刊ゲンダイ. (2008年6月7日). オリジナルの2008年6月8日時点におけるアーカイブ。 2013年1月11日閲覧。
- ^ “ビジーフォーSP 休止”. (2017年3月7日) 2022年5月8日閲覧。
- ^ 「今月の広告批評」『広告批評』第144号、マドラ出版、1991年11月1日、91頁、NDLJP:1853110/47。
- 1 ビジーフォーとは
- 2 ビジーフォーの概要
- 3 概要
- 4 メンバー
- 5 出演番組
ビジーフォー・スペシャル
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「ビジーフォー」の記事における「ビジーフォー・スペシャル」の解説
しばらくのブランクを経た後[いつ?]、島田とウガンダの抜けた跡に新たにウーロン茶(ベース)、ロバよしお(ドラム)、そして紅一点(キーボード)の三人が加わり、ビジーフォー・スペシャルとして再スタート。 この頃から本格的にものまねを始め、1983年から出演のフジテレビの『ものまね王座決定戦』では裕三と冬樹のコンビで出演し、最多の5回の優勝を果たし、コロッケ、清水アキラ、栗田貫一と共に「ものまね四天王」として、ものまねブームの立役者となる。 夜も一生けんめい。(日本テレビ)などの番組では、裕三と冬樹はレギュラーとして、その他の3人はバックバンドとして出演するなど、バンドとしても活躍した。 のちにロバよしおが辞めエデン東(ドラム)が加入し、マネージャー兼見習いメンバーとして北海龍が参加している。
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ビジーフォー・スペシャル
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「ビジーフォー」の記事における「ビジーフォー・スペシャル」の解説
グッチ裕三(ボーカル) モト冬樹(ギター) ウーロン茶(ベース)1956年生。本名:佐藤知己。解散後は「モト冬樹とナンナラーズ」メンバー。現在は有限会社「チャイメイツ」経営。 紅一点(キーボード)本名:松川美子。メンバーからは本名の「よしこ」と呼ばれる。エド山口夫人の井上望がアイドル歌手だった頃にコーラスを担当していた。解散後は「モト冬樹とナンナラーズ」メンバー。 ロバよしお(ドラムス)初代ドラマー。途中で脱退。 エデン東(ドラムス)二代目ドラマー。解散後は「モト冬樹とナンナラーズ」メンバー。 北海龍1962年生。本当はマネージャーだがメンバーとともに出演。元押尾川部屋力士。
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