ビザンツ帝国による再征服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 16:34 UTC 版)
「イスラーム期のクレタ」の記事における「ビザンツ帝国による再征服」の解説
詳細は「ハンダクス包囲(英語版)」を参照 クレタの海賊活動は930年代と940年代に再び頂点を迎え、南部ギリシア、アトス、そして小アジア(アナトリア)の西海岸は荒廃の一途を辿った。この結果、ビザンツ皇帝コンスタンティノス7世(在位:913年-959年)は949年に新たな遠征軍を派遣した。しかしこの艦隊も奇襲を受け、ビザンツの年代記作家たちはこの敗北の原因を指揮官であった宦官コンスタンティノス・ゴンギュレス(英語版)の無能と未熟のためとした。コンスタンティノス7世はしかし諦めることはなく、その治世の最後の年に新たな遠征の準備をした。この遠征は彼の後継者ロマノス2世(在位:959年-963)によって実現した。彼は艦隊指揮を有能な将軍ニケフォロス・フォカスに委ねた。大艦隊と大軍を指揮するフォカスは960年の6月か7月に出航してクレタ島に上陸し、ムスリムの初期の抵抗を排除した。長きにわたるハンダクス包囲(英語版)は冬を超えて961年まで続き、3月6日には総攻撃が行われた。 ハンダクスは略奪され、モスクと城壁は解体された。ムスリムの住民は殺されるか奴隷とされ、クレタ島の最後のアミール、アブドゥルアズィーズ・ブン・シュアイブ(英語版)(Kouroupas)と彼の息子、(アン)ヌウマーン(英語版)(Al-Numan、Anemas)は捕らえられてコンスタンティノープルへ連行され、フォカスは凱旋式を催した。クレタ島はビザンツ帝国のテマとして再編され、残留したムスリムは聖ニコン(英語版)のような伝道師たちによってキリスト教に改宗した。改宗者の中にはクレタの王子アネマス(ヌウマーン)もいた。彼はビザンツ帝国に臣従し、970年から971年にかけてのルーシ族との戦争の際、ドロストロン(英語版)で死亡した。
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