パレスチナ略史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 02:24 UTC 版)
「日本とパレスチナの関係」の記事における「パレスチナ略史」の解説
第一次世界大戦以降、イギリスが統治するパレスチナ地域においてパレスチナ人と新しく入植してきたユダヤ人との対立が生まれる。 1947年、国連総会にてパレスチナをアラブ国家とユダヤ国家に分割する決議を採択する。 1948年、イギリス軍のパレスチナ撤退に合わせてイスラエルが独立を宣言。これに伴って第一次中東戦争が勃発し、多くのパレスチナ人が難民となった。これは「ナクバ」(アラビア語で「大破局」「大災厄」)と呼ばれた。 1964年、イスラエルの支配下にあるパレスチナ人の解放を目的とする「パレスチナ解放機構(PLO)」が設立され、拠点をヨルダンにおいた事実上のパレスチナ亡命政府となる。 1967年、第三次中東戦争が勃発。勝利したイスラエルがガザ地区、ヨルダン川西岸を軍事占領し入植を開始。 1974年、パレスチナ解放機構は国際連合のオブザーバー組織となる。 1987年、「インティファーダ」と呼ばれるパレスチナ人による反占領運動が開始。 1988年には「イスラエル打倒によるパレスチナ解放」から「イスラエルと共存するヨルダン川西岸地区およびガザ地区でのパレスチナ国家建設」へと方針転換。パレスチナ国独立宣言が実施される。 1993年のオスロ合意に基づき、武力闘争方針が転換されパレスチナ解放機構を母体とするパレスチナ自治政府が設立される。1995年よりパレスチナ国としてヨルダン川西岸及びガザで自治を開始。 2004年、パレスチナ解放機構議長で初代パレスチナ大統領のヤーセル・アラファートが死去。マフムード・アッバースが2代目大統領に選出される。 2012年11月29日、国連総会においてパレスチナを「オブザーバー組織」から「オブザーバー国家」に格上げする決議案が賛成多数で承認され、国際連合では「国家」の扱いを受けることとなった。
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