ハワイにおける日本語放送の芽生え
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 03:47 UTC 版)
「KIKU」の記事における「ハワイにおける日本語放送の芽生え」の解説
ハワイには明治時代以降、多くの日本人が移民して一大コミュニティを形成していた。1960年の全米人口調査ではホノルル近郊の人口35万のうち日系人が12万人を占めており、日系人は白人や中国系を抑えて最大のエスニックグループとなっていた。当時は日本語を話す一世・二世も多く、日系コミュニティにとって日本語メディアは渇望されるところであった。1954年に日本航空のホノルル便が就航して以降、日本人渡航者は増加しており、観光業界からのスポンサーシップも期待された。 日本語メディアとしては19世紀末から日本語新聞が発行されており、1929年にはラジオにおける日本語番組の放送も行われていたが、1960年にはラジオ局KOHOが初の全日日本語放送を行い、1963年にはKZOOが放送を開始してこれに続いた。一方でテレビについても日本語番組が求められるようになり、テレビ局KGMB-TVで1952年12月21日の16:30から1時間、初の日本語番組が放送された。その後KONA(現在のKHON)、KULA(現在のKITV)など、各局でも一週間に2時間ほどの定期的な日本語放送が行われるようになった。
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