ハビビ政権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 10:02 UTC 版)
詳細は「ユスフ・ハビビ」を参照 スハルトから大統領職を譲られたハビビは、民主化を要求する勢力の機先を制するかたちで、政治犯の釈放、労働組合の合法化、政党設立と活動の自由化、言論・集会の自由化、などを打ち出した。 このように政治的自由化をすすめるとともに、それまでの中央集権による地方統治方式も改め、地方政府に大幅な権限を譲渡する新地方行政法、中央・地方財政均衡法を制定した。また、従来地方を押さえ込んできた内務省と国軍地方師団による「領域管理」も改められた。 こうした一連の地方行政改革によって、インドネシアは地方分権化の流れに乗ったが、その一方で、スハルトの強権によって抑えられてきた問題のたがが次々に外れ、国家の統一が脅かされることにもなった。 マルク諸島ではムスリムとクリスチャンの紛争が虐殺に発展(マルク諸島・アンボンの宗教紛争(英語版))、アチェでは分離運動が激化して国軍が介入し内戦化(Insurgency in Aceh)、東ティモールでは住民同士あるいは住民と国軍の衝突が起き(東ティモール紛争)、社会不安はかえって深まった。 東ティモールは1999年に住民投票で特別自治権提案が拒否され、独立が事実上決定したが、インドネシア治安当局が反発し武装勢力を使った破壊工作が行われ、国連平和維持活動の介入を見るに至った。その後、国連暫定統治を経て2002年に東ティモールは独立した。
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