ノルウェーの南極探検年表
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「ドロンニング・モード・ランド」の記事における「ノルウェーの南極探検年表」の解説
1832年 イギリスの探検家ジョン・ビスコー(John Biscoe)、南極半島の突端部グレアムランドを望見したと主張。 1893年 ノルウェーの捕鯨船船長・探検家のカール・アントン・ラーセン(Carl Anton Larsen)、グレアムランドのいくつかの地形を発見し、フォイン・コースト(Foyn Coast)、キング・オスカー・ランド(King Oscar Land)、ヤーソン山(Mount Jason)、ロバートソン島(Robertson Island)と命名。 1895年1月24日 ノルウェーの南極探検家カールステン・ボルヒグレヴィンク(Carsten Borchgrevink、南極大陸のヴィクトリアランド北東端のアデア岬(Cape Adare)に上陸。彼はこれを人類初の南極大陸上陸としている。3年後の1898年、彼はイギリス隊を率い、初の南極大陸冬季探検(サザンクロス探検)を行った。 1911年12月14日 ロアール・アムンセン率いるノルウェー南極点探検隊の5名、人類初となる南極点到達。 1930年 ヒャルマー・リーセル=ラルセン(Hjalmar Riiser-Larsen)、ロアール・アムンセンがドロンニング・モード・ランドと名付けた南極大陸の地域を飛行機で探査する。 1927年-1937年 ラース・クリステンセン(Lars Christensen)、1927年に南極海のブーベ島に上陸しノルウェー領としたほか、1937年までの間、探検隊を組織してドロンニング・モード・ランドを探査する。 1939年1月14日 ノルウェー政府、ドロンニング・モード・ランドを東経45度から20度の範囲と定義したうえで、その領有権を主張。 1939年–1945年5月23日 ナチス・ドイツの南極探検家、アルフレート・リッチャー(Alfred Ritscher)、ドイツ第3次南極探検隊を率いてドロンニング・モード・ランドに上陸、東経20度から西経10度までの範囲をノイシュヴァーベンラントと名付ける。この探検は捕鯨基地や海軍基地を将来南極に設置することを念頭に置いたものだったため極秘であり、公式な領有権主張は行われず、ドイツ国民は戦後までこのことを知らされなかった。 1941年1月13日 ドイツ軍、ドロンニング・モード・ランド北方沿岸で操業中のノルウェーの捕鯨母船を拿捕。翌日には捕鯨船11隻と母船3隻を拿捕。ドイツ海軍はケルゲレン島の港を連合国軍の船舶攻撃のために使用する。 1948年 ノルウェー極地研究所(Norwegian Polar Institute)、ドロンニング・モード・ランドの行政を任される。 1957年 ノルウェー政府、ドロンニング・モード・ランドを属領とし、ノルウェーの主権の及ぶ範囲とする。 1961年6月23日 南極条約、発効。各国の領有権主張は凍結。 2005年 ソニア王妃、ドロンニング・モード・ランドを公式訪問し、通年基地であるトロール基地の開所を宣言。 2008年 ノルウェー首相イェンス・ストルテンベルク、ドロンニング・モード・ランドを公式訪問し、3つの山に対して命名する。
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