ネオ・ダダ
【英】:NEO-DADA
1950年代の末、ニューヨークにおいて、ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズが、あいついで個展を開いた。当時の美術の世界は、抽象表現主義が全盛をきわめていたが、その中で彼らは、日常の具体的、卑俗的な、すぐそれと知れるようなものを画面に登場させ、大胆な画風を示した。ラウシェンバーグは、絵画に布や写真、印刷物などを加えて、雑多なイメージを画面に集めてくるコンバイン・ペインティングを、ジョーンズは国旗や標的などを画面にクローズアップすることで、反芸術の新しい表現スタイルをうちだした。これらの創作活動を、芸術に対する挑戦的な姿勢とみなし、「ダダの再来」という意味でジャーナリストが名付けたものが「ネオ・ダダ」である。日本も1960年の読売アンデパンダン展に、ネオ・ダダ・オルガナイザーズというグループが出品するなど、影響を受けている。ネオ・ダダは抽象表現主義につづき、後のポップ・アートの出現をまつことになる。
ネオダダ
ネオダダ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 14:14 UTC 版)
詳細は「ネオダダ」を参照 アメリカでは、ダダの流れを汲むニューヨーク・ダダやニュー・バウハウスなどの土壌があったが、1960年代にダダイスム運動が復興し、ネオダダと呼ばれ、「反芸術」運動として隆盛した。のちのポップアートやコンクレーティズム(日本では具体派)、コンセプチュアリズムなどへ分岐していった。この意味で第二次世界大戦以後の現代美術の震源地となったといえる。
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