ドルトンの原子理論の普及
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「トマス・トムソン (化学者)」の記事における「ドルトンの原子理論の普及」の解説
1804年8月、トムソンはドルトンと会い、彼の原子理論(倍数比例の法則が成り立つのは一定の質量比率の原子の相互作用によるものである、という見解)について初めて聞く。ドルトン自身はこの見解を1808年のNew System of Chemical Philosophy第1巻第1部で公表するが、それに先立つ1807年、ドルトンの同意の下でトムソンが自身のA System of Chemistry第3版(1807)で先に公表する(これがドルトンの理論の最初の発表となる)。1810年にドルトンのNew System第2部が出版された後、トムソンは1813年と1814年のAnnals of Philosophyで複数の論文において様々な化合物の成り立ちがドルトンの理論を裏付けていることを詳しく論じ、以後のヨーロッパにおけるドルトンの原子理論の定着に貢献した。 1819年、トムソンはウィリアム・プラウトの仮説(「全ての原子の原子量は水素原子の整数倍である」)を裏付ける実験を行い、1825年、An Attempt to establish the First Principles of Chemistry by Experimentとして発表。ただし、学生読者への教育目的で書かれたものゆえ分析記録は正確ではなかったため、スウェーデンの化学者イェンス・ベルセリウスを含め多方面から批判された。
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