ドミエ
ドミエ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/26 22:27 UTC 版)
第一次大戦後の狂乱の時代と呼ばれた20年代がル・ドームの全盛期であった。大戦中に亡命していたパスキンもパリに戻った。芸術・文学の中心はモンマルトルからモンパルナスに移り、モディリアーニ、モイズ・キスリング、シャイム・スーティン、マリー・ローランサン、藤田嗣治ら主にエコール・ド・パリの画家が集まった。ガートルード・スタインに「失われた世代」と称されたアメリカの作家も多かった。ヘミングウェイ、フォークナー、エズラ・パウンド、シンクレア・ルイス、ヘンリー・ミラー、アナイス・ニンなどである。アンドレ・ブルトン、マックス・エルンスト、マン・レイ、ルイス・ブニュエルらのシュルレアリスト、さらに次世代のロバート・キャパ、ゲルダ・タロー、アンリ・カルティエ=ブレッソンらの写真家も「ドミエ」であった。 サルトル、ボーヴォワールも常連であったが、特にル・ドームの向かいにある1903年創業の老舗カフェのラ・ロトンド(モンパルナス大通り105番地)と軒続きの建物(103番地)で生まれ、幼少期を過ごしたシモーヌ・ド・ボーヴォワールは、後にリセ・モリエールの教員に就任してゲテ通りに部屋を借りていた1936年から37年にかけて、ル・ドームでドイツ人客に混じって朝食をとる習慣があった。 現在は、アルバン・ミシェル出版社(フランス語版)が近くにあり、作家のアメリー・ノートンやジャン=クリストフ・グランジェも近くに住んでいることから、作家や出版関係者が多いが、アイルランドの俳優ピアース・ブロスナン、ミュージシャンのボノも渡仏の際には姿を見せるという。
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