トーンの自殺とイギリス海軍のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/01 10:22 UTC 版)
「トーリー島の海戦」の記事における「トーンの自殺とイギリス海軍のその後」の解説
サヴァリの帰港は、ヨーロッパ大陸諸国の、アイルランドへ軍隊を上陸させる最後の試みが終わったことを象徴していた。フランスの敗北はあまりにひどいものであったため、数度に及ぶ侵攻計画も真剣には熟慮されなかった。同様に、アイルランドの暴動における大きな敗北は、アイルランド大衆へのイギリスの報復と相まって、近い将来、再度暴動を起こすことへの望みは断たれてしまった。ユナイテッド・アイリッシュメンにとって一番深刻だったのは、ウルフ・トーン自身の逮捕だった。ブンクラナのオッシュの捕虜たちの中にいたのを発見されたのである。トーンは有罪を言い渡され、死刑となったが、処刑される前にダブリンで自殺した。 イギリスでは、この戦闘は大きな成功とみなされ、イギリス議会は感謝の念を込めて従軍した者を表彰した。多くの下級士官が昇進し、乗組員には、拿捕した船の売却による報奨金が支払われた。この中で、アンモルタリテとロワールは購入されてイギリス海軍のものとなったが、名称は何年間もそのままであった。一方でオッシュとエムビュスカードは、それぞれドニゴールとアンバスケイド(Ambuscade)に改名された。コキーユは売却されたが、1798年の12月に悲劇的な、13人が亡くなるという弾薬爆発事故で船体がすべて壊れてしまった。あとの2隻、レゾリュとベローヌは、あまりにも老朽化していて、現役では使えないとされたが、拿捕により賞金を得たイギリス海軍が2隻を購入し、ベローヌはプロサーピン、レゾリュはレソリューと改名された。2隻は何年か港の陳列船として公開され、その後解体された。その50年後の1847年、この「1798年10月12日の戦闘」における従軍記念略章の対象となり、ナヴァル・ゼネラル・サービスメダル(英語版)が、その当時まだ存命であった、戦闘従軍者に該当する人々のすべてに授与された。
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