トリック事件以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 05:06 UTC 版)
高校時代は「1年生のときに麻雀で役満を20回も上った」「バレーボールのサーブ権を取るじゃんけんで、30数回のうち1回しか負けなかった」との逸話を持つ。予備校時代に両親の別居と離婚を経験し、のち大学進学を断念。母が経営する喫茶店兼パブのバーテンダーとして働き始めたが、開店2週間で母が病気になり倒れたため、閉店を余儀なくされる。次いで、祖父の経営する従業員2名の不動産会社の社長になった。 かねてより父の甫から「小さい時に騒がれちやほやされた者が、どんな大人になるか」「超能力を一時期発揮することよりも、その子にとっては、ながい人生のほうがどれだけ大切なのか」と懸念を示されていたが、都内の友人宅で大麻パーティを開いていたことが発覚し、21歳の時に大麻取締法違反で逮捕された。 銀座のクラブ「ピロポ」の支配人を経て「日本トラスト」という会社の社長秘書となり、社長の指示で株の売買やゴルフ場の地上げに関与、「随分と儲かりましたね」「ベンツ[要曖昧さ回避]を乗り回し、携帯電話を持ち、いっぱしの"ヤンエグ"気取りでしたよ」と回想している。ところが1990年頃、それまでの仕事に飽き足らなくなり、27歳で配管工に転じる。1992年の『週刊新潮』の取材には 「超能力に関する研究を行なっている三十ヵ国のうち、二十九ヵ国が、僕のスプーンの切断面が薬品や腕力で切ったものではないと認めてくれている」 「今でも僕はその能力の存在を信じていますから、後悔はしていませんよ」 「麻雀も友人たちとはしょっちゅうやります。でも、役満は普通の人と同じ程度にしか出ないですね。今、日常生活で"超能力"みたいなものが発揮されるとしたら、人が何を考えているのか、敏感に感じてしまうことぐらいでしょうか」 と答えている。 大麻取締法違反で執行猶予つきの有罪判決を受けたが、執行猶予期間中に窃盗と無免許運転で逮捕され、1年6ヶ月の実刑を言い渡されて服役。以後の消息は判明していない。
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