チヴィタヴェッキアでの制作見学者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:05 UTC 版)
「長谷川路可」の記事における「チヴィタヴェッキアでの制作見学者」の解説
長谷川の制作期間中、作業場の足許には下絵が置かれていた。この作業を見学に訪れた人々は、下絵の余白に感想や激励の言葉や署名を残すのが慣例になっていた。すなわち、下絵が芳名録になっていた。漢字で書かれた日本人の名だけでも200名を越す。当時は1950年代であり、1ドルが360円で、外貨持ち出しが厳しく制限されていたことから、ローマを訪れる日本人は限られていた。 濱尾文郎 田村泰次郎 庄野英二 園田直 神原泰 宮本三郎 内村直也 柳宗玄 西村計雄 野上素一 石川達三 池島信平 山口淑子 矢代幸雄 渋沢敬三 芹沢光治良 水島三一郎 平林たい子 土井辰雄 藤浦洸 石橋正二郎 湯川秀樹 湯川スミ 黒澤隆朝 三谷隆信 松井明 徳川夢声 田中千代 南喜一 田村孝之介 川口松太郎 三益愛子 溝口健二 田中絹代 川喜多長政 依田義賢 谷川徹三 増村保造 中川一政 嘉治隆一 藤倉修一 古畑種基 丸岡明 喜多実 粟谷菊生 香川京子 野尻清彦(大佛次郎)
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