ソ連邦首相として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 13:38 UTC 版)
「ゲオルギー・マレンコフ」の記事における「ソ連邦首相として」の解説
マレンコフは2年間閣僚会議議長(首相)の座にあったが、この間の彼の政治活動はクレムリン内の権力闘争と混同された。マレンコフは忠実なスターリン主義者であり続けたが、「核兵器は世界の破滅を招く」と宣言して、核兵器の研究開発に反対する立場を表明した。その中でマレンコフは、核兵器の使用に反対する国際平和キャンペーンを展開するなど、外交については平和的な路線をとった。このような西側諸国との平和共存を模索する方針は強硬派から反発を受けることになり、後の首相交代の引き金にもなった。経済については、重工業よりも消費財の生産等の軽工業に再注力することを提唱し、ソビエト国民の生活水準の向上を目標に掲げた。また農業政策については、農民への減税・穀物生産の為にコルホーズへ支給される給付金の増額と自作農を奨励する政策を提唱した。これらの政策はマレンコフの首相在任時に決定されたが、財源的な課題もあり、目標を達成させることは困難を極めた。このような政策の失敗に加えて若い世代の政治家の昇進に反発したことも起因して、マレンコフの影響力は次第に低下していくことになる。
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